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8
スイートとはいえホテルの一室だ。
ベッドルームから浴室までの、往復するにしても数秒か数十秒程度。
「……リィン?」
なぜ。
この子供はそれだけの間に。
「……っ」
頭から白いシーツを被って包まって、不安げに膝を抱いて蹲っているんだろう。
呼び声に反応して僅かに上がった頭。シーツと長い前髪の隙間から覗いた紫銀の双眸に浮かんでいるのは、らしくない不安と焦燥。
それは先ほどまでの気の強そうな印象とは正反対で。いっそ病的だと指摘してもいい自己犠牲的な献身、身食いの癖も同根なのかもしれない。
だからきっと。それをわかっていて手を差し伸べる己は、この子供以上に傲慢で酷いんだろうと自嘲して、黒髪を撫でてやる。
触れて、撫でて。凍えないようにと体温を分け与えて。シーツに包まった躰を、ベッドへと押し倒す。嫌味なほど上質なスプリングは軋みもせずに男二人分の体重を受けとめた。
どうせ浴室に行ったならついでに洗面台で口でも濯いでこればよかったと思いながら唇を舐めてやる。責めるように、縋る様に。
まっすぐにこちらに向けられる双眸に覚えるのは、満足感と背徳感。
キスをするときは目を閉じるべきだと、この子供に教えてやるべきなのだろうけれど、それをしてしまえば硬質に強張っている紫銀が鎔ける瞬間は瞼に遮られてしまう。それは惜しい気がしながら、舌先で唇を割裂く。
下唇を甘く噛みながら、するりとシーツをはぎ取ってやる。
「……クロウ」
僅かに唇が離れた合間に呼ばれて、交接を止めて見下ろした。なんだと声に出して問うことを躊躇ったのは、相手のためを思ったわけじゃなくどこまでも自分のためだけ。
じっと見おろし、目を細めて問いを促す。応えてやれることの方がきっと少ないだろうけれど。
重なった視線が揺れて、伏せられる。
「――後悔、してるだろ」
逡巡の後に呟かれた言葉に、思わず目を見張る。相変わらず、この子供の思考回路が理解できず苦笑を漏らした。
正直なところ、指摘されたとおり後悔はしている。それはきっとリィンが考えている意味とは違う。
「あのなぁ、言っておくがおまえが男だから幻滅するとかそういうのはないからな?」
別に、根っからの同性愛者である自覚はない。むしろ同性異性問わずそういうもの自体にそれほどの執着も貞操感も持ち合わせてはいない性質だと思っていた。目的のためにはある意味で便利な道具ではあったけれど、行為自体に意味だとか情なんてきれいなものも執着も見出すことはないと。
思っていた、のに。
どうして、この子供に向かうとそれが何かにすり替わるのか。
本来の嗜好なんてものはなく、かりそめのそれにしても大きくかけ離れているだろう。柔らかさのない鋭角なラインを描く肢体。顔立ちは幼げではあるけれど、少女と見まごう美少年というわけでもない。むしろ容姿だけならば凡庸な部類。けれどその眼差しの強さと姿勢の正しさは際立っていたとは思う。それはこの子供の、たった十二年間の生き様そのものなんだろう。
眩いほどにまっすぐで。そのくせどこか危うさを孕んでいるせいで目を離せない。
何かに耐えるように噛みしめたままの唇に、触れるだけのキスを落とす。唇を滑らせて顎を噛んで、劣情のままに首筋に舌を這わせる。
「……っん、…ぅ」
ひどく間近で、吐息が震えるのが愉しい。この存在に、どこまでも深く自分という存在を刻み込む行為が。
己の本分をわきまえれば、絶対にあってはならない選択だというのに。
「……っクロウ…、ぁ」
熱を帯びた切なげな声で名を呼ばれて、錯覚しそうになる。喉を噛んだ視線の先で、刺した蒼い石が光を反射する。
体に纏わりつく白いシーツはまるでヴェールのようだと。
そんな発想が浮かんだ己の思考に苦笑してしまう。
最初は。Ⅶ組の重心は誰からも好意を持たれている割に、この子供は誰かのものにはなりえないと思っていた。それは朴念仁だとか唐変木だとかそういうことだけではなく。自分を含めて、彼の視点では平等に『守るべき相手』なのだろう、と。傲慢で残酷な、恵まれた者故の責務。
ある意味では、そうだったからこそ過去の自分は安心して彼を揶揄うことも見守ることも、できていたんだろう。
自己評価の低さから、本能的に人との距離を測って自分からは友情以上の好意を見せないくせに。底抜けにお人よしで誰にでも明るく優しく接して、いつの間にか周りを魅了して巻き込んでいく。それこそ、中心というより重心だろう。あの紫電の言語感覚には、感心するほかない。
飲めない距離に水の入ったコップを置かれる状況には、ずいぶんと慣れているつもりだった。手に入るはずのないものに焦がれ、喉を鳴らし、訴えても誰も助けてもくれやしないことなど、誰よりも深く思い知っていたはずだ。
欲しくて仕方がなかった存在が、こうして目の前にある。それも供物の側が自ら進んで転がり落ちてきた。
飼い慣らし続けたせいでそれが普通だと思っていた飢餓と渇きを自覚してしまえば。止まることなど、できようがない。
シーツを剥いで、晒させた下肢へとボトルの中のオイルを注ぐ。さすがクロイス家のホテルだ。アルモニカ産の蜂蜜とオイルとハーブの天然素材だけでつくられたというふれこみらしい女性用高級化粧品をアメニティーとして大盤振る舞いされていた。もっともあの錬金術師はこんな使い方されるとは思ってもいなかっただろうがと内心舌を出す。
藤色の双眸に浮かんだ怪訝げな光は、口づけ一つで熱に熔けた。
深く舌を絡めて、なじみのない華やかな香りのオイルを、指先に掬い取って奥へ塗りこんでいく。襞に馴染ませながら、宥めるように口蓋を舐めあげてやれば強張ることもなく後孔は指一本を抵抗もなく飲み込んでいく。
唾液とオイルが立てる粘着質な水音と微かな衣擦れ。あとは、熱を孕んだ吐息の音だけが寝室を占める音。
視線の先で、切なげに寄せられた眉根に、キスを解いて見下ろす。
「いてえ?」
突っ込んだ中指の腹で粘膜をぐるりと撫でてやれば、リィンはふるりと首を横に振った。
「痛くはない、けど……」
言葉を探すように呟く唇は、どちらのものとも知れぬ唾液に濡れそぼって光を滑らせる。ふわりと揺れる黒髪を掴んでその口に突っこんで嘔吐くほどにがんがん喉奥をついてやりたい、なんて欲が澱むほどには扇情的だ。想像して湧いた唾を飲み込む。
童貞じゃあるまいし初心者相手にどれだけがっつく気だと自嘲してオイルに塗れてない右手で髪を撫でてやる。
「けど?」
問いかけながら、じわじわと指を埋めていく。指一本ですらぎちぎちに締め付けてくる狭さ。入るんだろうかと不安になる。まぁ入らなくても突っ込むけど。指を伝わせて中にオイルを流し込みながら、紅く滲む紫を見下ろす。
「クロウに触られてるんだと思うと、安心する……?」
リィンのそんな言葉に、息も、鼓動さえも一瞬止まった気がした。くたりとリィンの肩口に倒れこんでしまうほどには。
この子供は恐ろしいと思ってはいたけれど。想定以上だろう。人たらしの本質を見誤っていたのかもしれない。この子供は言葉で人を殺す方法を本能的に知っている本質的な扇動者。
「おい、クロウ?」
慌てたように伸ばされた腕を掴んでシーツに縫いとめる。
喉の奥で蟠っていた空気の塊をゆっくりと吐き出して、深呼吸を一つ。
「おまえ、なぁ……」
「うん……?」
きょとんと首を傾げる様は、ひどく幼気で子供じみていて。
「おまえ、俺の正体知ってるんだよな?」
「ああ」
「なら、俺に安心するってのはおかしいだろうが」
「……そう、か?」
そうだろう。
この子供と相対していると、時々自分が正しいのか間違っているのかわからなくなってくる。いや、テロという破壊工作も、こんな幼気な子供に手を出すことも間違っていることはわかっているつもりだ。間違っているはずのそれすら、重心たる子供は受け入れているんだろうか。
意味の分からない信頼に、混乱する。
この先、手酷く傷つけるだろう。現に今喰われようとしている状況で、何故安心なんてしているのかと。自衛本能の欠落のせいだろうか。そうならば自分以外の前でもこれだけ無防備に肌を、躰を晒すんだろうか。それは少し――いや、かなり面白くない気がする。
「でも、クロウはクロウだろ」
ふわりと笑って。
「内臓の粘膜なんか他人に晒して、触れられて。普通なら怖いとか気持ち悪いとか思うもんなんだろうけど。クロウなら、いい」
「馬鹿、だろ」
思わずこぼれた声は、自分のものだと思いたくないくらいに掠れて。声も表情も、作る余裕すら剥ぎ取られた気がした。
「俺も思ってる。馬鹿だろって」
苦笑を浮かべて、けれど眼差しの強さはいつものとおり真っ直ぐなまま。
「察しろよ……クロウ相手だから、脚開いてやってるんだからな」
くつりと笑って、強請るように脚が絡みついてくる。
「あと、服」
「ん?」
「脱がせてやろうか?」
潤んで赤みを帯びた双眸に笑みを浮かべてそう誘いを掛けてくる。
「そんなに俺の体見たいのか?」
「見たことないからな」
そういえば水練の時期にはまだ、Ⅶ組への編入はされてなかった。同じ寮とはいえそうそう肌を見せる機会はない。夜這いでも掛けない限りは。
「男の体なんぞ見て楽しいもんでもないだろうがな」
「そっくりそのままその言葉クロウに返すよ」
「お前だってシャツだけ着てるじゃねえか」
「こういう方が好きだろ?」
じっとりと半眼で睨みつけられる。その実、その双眸に浮かんでいるのは見てもつまらないだろうという意図で。それこそそっくりそのまま返してやりたいと苦笑して、されるがままにジャケットとシャツを脱がされてやる。するりとTシャツの下に手を這わされて片手でシャツを脱ぎ捨てた。
「……クロウのくせに」
「どういう意味だよ」
素肌に、リィンの指が触れる。
「卑怯だろ」
「意味わかんねぇ」
「背も高いし双銃使いの癖に筋肉質だし手先器用だし頭は無駄に回るし卑怯だ」
「……あのなぁ」
苦笑が深くなる。貶されているのか、煽られているのか。少なくともきっと褒めてはいないだろう。
治りきらない傷跡を、指先がなぞっていくのがくすぐったくて。
「お前の場合は変に体重つけたら速さが落ちるだろ」
「それはわかってるけど、それでもお前に負けるのは悔しい」
ぎっと爪を立てられたのは、埋めたままの指を動かしたせいだけじゃないだろう。
「そんなに俺みたいになりたい?」
「それはちょっと遠慮する」
自嘲気味に笑ってやれば、リィンはゆるりと首を振った。
「まぁ俺としてもこれくらいのほうが、抱き心地はいいけどな」
「……っ」
軽口に抗議するように肩口に思いきり噛みつかれた。
ゆっくりとじっくりと、内側から浸食されていく気がする。
痛みはないけれど、正直なところ怖くないわけでもない。
「……っ、ぅ」
唇は噛むなと言われたから、クロウの首筋に噛みついてやる。皮膚の薄い部分には俺がつけた歯型だらけだ。腕を伸ばして背中に爪を立てて、必死にその感覚に耐える。
体の中で異物が蠢く感触なんて、知らない。それが齎す快感なんて、知るはずもなかった。
体が、感覚がばらばらに壊されて再構成されて、上書きされていく感覚には覚えがなくもない。それはARCUSの戦術リンクを繋いだ瞬間にも、似ている気がする。
頭が、意識がぶれて誰かの意識が深く重なる感覚。その感覚をもっと鋭利にしたような。
もうやめてくれと叫びたいくらいに。じわじわとその悦楽が腹の中を焼いて渦巻いて、澱んで積もっていく。
それを齎している男を睨み付けて、性質が悪いと内心で毒づいた。
痛みにならば慣れている。無理矢理に暴かれるのならば、ただ悲鳴を歯を喰い締めて押さえればいいだけだ。
けれど。只管気持ちいいことだけを繰り返されて、けれど決定的なそれは与えられず焦らされて。
どうしたらいいのかわからず、必死にしがみ付く。零距離で触れた肌から伝わったのは、微かに笑う気配。それにどうしようもなく切なくなる。どこまで子供扱いされているのかと。
対等に向かい合いたいと望むことも、俺には許されない強欲なんだろうか、と。
指一本でもきつく感じていたそこにさらに増やされて広げられる感覚に上げかけた悲鳴は、喉の奥で留めた。
「……っ、ん、ぅ……」
縋りついて、咬みついて。意識を炙るような快感のもどかしさに足がシーツを滑った。
ぶつりと裂けるような音と歯が食い込む感触と、一瞬遅れて口の中に溢れた鉄錆に似た匂い。力を入れて噛みすぎて、クロウの皮膚を食い破ってしまったらしい。
そのくせ、この男は痛みに呻く様子もないのに腹が立つ。
人には自己犠牲が行過ぎるだとか保身を覚えろとか説教くれるくせに。テロリストのリーダーなんて矢面に立つ憎まれ役を買って出てる時点で、クロウの方が相当に自己犠牲の塊みたいなものじゃないか。VやSやギデオンは俺たちと違っていい年をした『大人』だというのに、寄ってたかって俺と二歳しか差のない学生に役目を押し付けて。クロウにリーダーをこなすだけの能力も知識も人脈も魅力も責任感もあるからこそ、なんだろうが。
そう考えてわが身を振り返る。
特別実習だってなんだって、俺たちは――俺は、大人に守られる側だったんだと思い知らされる。普段の言動はともかくサラ教官は頼りになるし、理事たちや理事長や、クレア大尉にもずいぶんと優遇してもらっているんだろう。
滲んでくる血を、歯型を舐る。
どこか呆れたように苦笑する気配に、眉を寄せる。
「こんな傷くらい、舐めてれば治るだろ」
「治るまで舐めてくれるのか?」
くつくつと楽しげに笑われて、舐めあげた歯型にもう一度噛みついてやる。
二度目だからか、最初より深く食い込んで滲むどころじゃない血が溢れる。そこまでしてようやくクロウが息を飲む気配がして、なんとなく。溜飲が下がった気がした。
美味いものでもない赤を、舐めとってやる。
「――悲鳴の一つでもあげればかわいげがあるのに」
「あのな、俺にかわいげ求めてどうするんだよ。持ち合わせもねえぞ」
「俺がかわいがってやろうか?」
ユミルで父さんと母さんやエリゼにもらったように。トールズでクロウが俺にくれたみたいに。クロウが何かを失ったんだとしたら、俺が代わりに埋めてやる。
「おまえね、疑問形の上、噛みついておいてそう言うかねぇ」
「だってクロウだからな」
「意味わからん」
「その無駄に回転の速い頭使って察しろ」
舐めとっても溢れてくる血に、さすがにやりすぎたかと思いながら手の甲で唇を拭う。
「つまりリィンくんはサディスト……」
「殴られたいのか、クロウ?」
笑みを浮かべて言えば、クロウは笑って首を横に振った。
慣らされる行為のいたたまれなさに、何度ももういいからさっさと突っ込んでくれと思ったけれど。腰の下に枕を詰められて脚を抱えあげられて取らされた体勢に、とっくに焼き切れていたと思っていた羞恥が湧き上がってくる。ひどくみっともない顔をしているだろうから見られたくなくて顔をそむけて腕で目元を隠した。
さっきまで耳を塞ぎたいほど響いていた水音は止んで、代わりにクロウの静かな呼吸音と微かな衣擦れだけが耳を打つ。あと、壊れそうなほどに脈打っている自分の鼓動。
「力抜いとけよ。あと息は止めずにゆっくり深呼吸な」
耳元で囁かれて、言われた通りに素直に深呼吸して意図的に体の力を抜いていく。けれどそれも、自分から閉ざした視界のせいで余計にリアルに押し当てられた熱と響いた水音で一瞬止まった。
またかすかに笑われて。宥めるようにあやすように、顔を覆う腕に唇が押し当てられる。大きな掌が俺の脚を撫でて――
「……クロウッ、……」
「…っつ、きつ…っ」
あれだけ解され慣れさせられた孔を貫かれる痛みに、息が詰まった。変な風に強張って、吐き出すことも吸うこともできずに、金魚みたいにはくはくと口を動かす。
耳に届いたかすかな呻きにだけは少し満足したけれど。
「声出せって」
「……無茶、言うな……ぅっ」
顔を覆っていた腕の片方をクロウの首に巻き付けて、引き寄せる。肩口に額を押し当てて泣き顔を隠して。広い背中に爪を立てた。
圧迫感がひどくて、浅くしか呼吸ができない。水に飲まれ、溺れていく感覚。そのくせ身の内は、焼かれるように熱くて。
痛いというよりも、苦しい。腹の中が満たされて、深く息を吸えば中のものの形を意識してしまいそうで途中で止める。
「……ったく」
しょうがない奴だとでもいうように、髪が撫でられて、必死にしがみ付いていたのにあっさりと引っぺがされた。なんでそんなに余裕綽々なんだ、こっちはもう色々と限界なのに。
顔を隠す暇もなく、ばっちりと視線が重なった。
「嫌、だ……っみる、な」
睨み付けて、顔を掌で隠す。悔しさと恥ずかしさで顔が熱くてどうしようもなくて。顔に触れた指の冷たさに、びくりと跳ねる。
指先が頬を滑り唇を撫でる。そのまま、柔らかく熱いものが唇に触れた。
「……っん」
そよぐように柔らかなキスは、宥めようという意図が明確で。抗議しようと突っ張った腕も容易くクロウの手でシーツに縫いとめられる。
口を塞がれたまま、浸食は止まらなくて。指で暴かれたよりずっと深く入り込んでくるものに、涙が押し出される。
粘膜が引きずられるような挿入が止まって、ようやく唇が解放された。
「すげーきつい」
苦笑とともに落とされた言葉に、脳裏で黙れ馬鹿と反応する。口に出す余裕なんてかけらもないけれど。
繋がっている場所を確かめるように指が触れて撫でられて、背筋が跳ねた。そのせいで抉られる角度が変わって、息を飲む。
「……っばか、だろ」
喰い締めた隙間から、呻きが漏れる。それすらもあやされて流されて。抱きしめられた。
同性だから。入れただけで終わるなんてありえないことくらいわかる。だから突っ込んだだけでクロウがじっとしているのは俺が慣れて落ち着くまで待ってくれているんだろう。
馬鹿じゃないのか、と思う。好き勝手に動けばいいじゃないか。いつも、そうやっているふりをしているくせに。思いながら、いつだってそうやってちゃんとセーブして守られていたんだろう、今までだって。
ふぅ、と意識して深く息を吐く。
こんな状況で子供じみた意地を張って自己嫌悪に陥っていたところで、何にもならないだろう。
涙を手の甲で拭って、隠す必要のなくなった手を下肢へと伸ばす。
「リィン?」
訝しむような、心配するような声で耳元で呼ばれて。くすぐったさに苦笑した。
伸ばした手で、先刻クロウが触れたように、繋がって受け入れている箇所に触れてみる。たっぷりと塗されたオイルで濡らされて、自分でも信じられないようなものを受け入れている境界。
「俺の中クロウでいっぱいだ」
知らず浮かんだ笑みは、自嘲なのか幸福感なのか。
「おまえなぁ……そういうことあんまり言うなって」
「熱くて大きくて硬い、っていう方がいい?」
くすくすと笑えば、そのかすかな動きだけでもいろいろと感じてしまうけれど。
「あからさますぎてつまらんな。どこのエロ本だよ」
「そういうの読んだことないけど、俺」
クロウは、うん。多分読んでるんだろう。寮のベッドの下とか、前に引っ越し手伝った時とか、いろいろきわどいグラビア雑誌とかもあったし。本だけじゃなく実践もずいぶんこなしてきたんだろうと思う。こんな面倒なことを、ずいぶんと手馴れている様子だし。
「今度貸してやろうか」
「いらないから」
嘆息しながら、まだ傷が塞がっていない咬み痕に舌を這わせる。笑いかけたクロウが息を飲んだのを感じて、それが嬉しい。この男の余裕を、剥ぐのがひどく楽しい。
「クロウ」
「おう」
「もう慣れたし、動いてもいいぞ?」
強請る様に、腰を揺すれば返されたのは苦笑一つだった。
「まぁがっついてもっと泣かせて叫ばせたいってのもあるがな」
あるのか、と内心嘆息する。俺なんかにそんな欲を持ってもらってることはうれしいのかもしれないけれど、この男のそれはなんというかひどく偏っている気がしなくもない。
「今は、もう少しこうしていたい」
「……へ?」
「いやか?」
問われて。髪を撫でられて抱きしめられて。
どうするべきか考える。
「嫌、じゃない」
嫌ではない。本音を言えば開かされた脚は痛いしガクガクだし、少し動くだけで中の剥き出しの神経を嬲られるような感覚もつらいけれど。耐えられないほどでは、ない。
けれど。
それでクロウは満足なんだろうか。
「なんか、惜しい気がしてな」
ふわり、と。いたわるように髪が撫でられる。
「クロウ?」
どういう意味かと問おうとして、名を呼んでみる。
案の定、応えは返されない。何を惜しむというのか。学院に対する未練?
「時間が……止まれば、いいのに」
「どんなおとぎ話だ」
くつくつと、喉奥で揺れる。
「まぁ、嫌いじゃないけどな」
「おとぎ話か? クロウには似合わないよな」
どこまでも現実主義だろう。この男は。夢想家であればあの笛吹きのように――
浮かびかけたイメージを、首を振って振り払う。
「おとぎ話の方が過酷だろうが。現実に、竜の珠もってこいなんて言うお姫様はいねえよ」
「それは残念だな」
「なんでだ?」
「竜の珠程度でクロウを手に入れられるなら、いくらでも探してきてやるのに……って、ぇ……っうぁ…っ」
呟いて、クロウの背中に指を走らせれば、その腕をぐいと掴まれた。なんだと問うよりも先に、体ごと引かれて体勢を変えられた。向かい合って膝に座らされているような位置で。突っ込まれたまま対応もなにもできず、自重でさらに奥まで飲み込まされる。そのまま揺すぶられて、声を噛み殺すこともできなかった。
「……っクロ、ウ」
何が惜しいだ。必死にしがみ付いて、感じすぎる場所に当たらないように腰を逃がそうとしても大きな掌が容易く掴んで押し上げられる。
止まりかけていた涙が、ぼろぼろと零れる。クロウの腹に押し当てられた自身を撫で上げられて、震えた。
「腺液でどろどろだな。ローションとかいらないんじゃねえ?」
「悪かった、な……浅ましくてっ」
「ばぁか――感度が良くて最高って言ってるんだよ」
笑われて、後ろ髪を掴んで引かれて無理矢理上を向かされる。そのまま深く口づけられて、苦しさに呻いた。
意味がわからない。クロウが考えていることも、俺自身が、どうしたいのか、も。
ゆるやかだった律動が徐々に速く。追い上げられて、見知らぬ高みにまで突き上げられて意識が真っ白に弾けた。
雨音にもにた音に、意識が呼び起される。
「……目、覚めたか?」
心地いい暖かさに、ゆっくりと瞼を上げた。ぼやけた視界に映るのは上質な黒大理のタイルモザイク。目を擦ろうとして、指一本すら自由に動かない事実に気づいて視線だけ動かす。
「クロ、ウ……」
呼ぼうとして挙げた声はひどく掠れていて。
「あー、悪いなリィン。加減できなくてお前に無理させた」
極まりが悪そうに苦笑して、クロウが俺の唇を撫でた。
状況把握。
見覚えのないここはおそらく、ミシュラムの《ホテル・デルフィニア》の一室のバスルームだろう。
あのあと、情けなくも気絶して、クロウにここまで運ばれて洗われていたのか。バスタブに満たされた温かな湯と、ふわふわの泡。危険性は感じられない。
ぼんやりと、されるままクロウを見上げる。
「……お前な、無防備すぎるだろ」
そんな顔してるとまた食いたくなる、と笑われて内心で首を傾げる。そんな顔といわれても、そんな変な顔をしてるんだろうか、俺は。
あたたかな湯が。髪を濡らして落ちていく感覚に目を閉じる。
「お前って意外と髪長いんだな。濡れてると別人みたいに見える」
「……たまに、言われる」
跳ね癖が強いから多少濡れたところであまり変わらないけれど。濡れた髪に、頭にクロウが触れるのが気持ちいい。人に頭を、体を洗われることなんてなかったから新鮮な驚きだ。さっき使われたオイルと似た、華やかな印象の香りの石鹸の泡。
「もう少し寝てていいぞ」
「ん」
クロウの声に、素直に従う。元々酷使された体は休息を求めていたんだろう。意識が落ちるのは一瞬だった。
窓から差し込む陽光の眩しさに、意識が浮上する。
瞼を開いて、瞬きを一つ。ゆっくりと手を持ち上げて見れば筋肉が軋みはするけれどなんとか動かせるレベルだ。
ゆっくりと、体に響かないように身を起こして部屋の様子を見る。
「……クロウ?」
起きた時から、部屋には自分の気配しかなかったけれど、一応呼んでみる。けれどやはり返事はない。ベッドに寝かされていたのも、この部屋にいるのも自分一人だ。
想定していたはずだ。
正体を暴いて。どうなるか、なんて考えなかったはずがない。
殺されるか、消えるか。前者の方が確率は高いと読んでいたけれど。
そっと、右耳に触れてみる。そこに残されていたのは、微かな痛みのみで。
「ははっ……残り香一つ、残してやくれないんだな。お前は」
不思議と涙は、浮かばなかった。昨夜泣きすぎたせいだろうか。
シーツにくるまったまま、膝を抱えて額を押し付けて。ただ笑うことしかできなかった。
スイートとはいえホテルの一室だ。
ベッドルームから浴室までの、往復するにしても数秒か数十秒程度。
「……リィン?」
なぜ。
この子供はそれだけの間に。
「……っ」
頭から白いシーツを被って包まって、不安げに膝を抱いて蹲っているんだろう。
呼び声に反応して僅かに上がった頭。シーツと長い前髪の隙間から覗いた紫銀の双眸に浮かんでいるのは、らしくない不安と焦燥。
それは先ほどまでの気の強そうな印象とは正反対で。いっそ病的だと指摘してもいい自己犠牲的な献身、身食いの癖も同根なのかもしれない。
だからきっと。それをわかっていて手を差し伸べる己は、この子供以上に傲慢で酷いんだろうと自嘲して、黒髪を撫でてやる。
触れて、撫でて。凍えないようにと体温を分け与えて。シーツに包まった躰を、ベッドへと押し倒す。嫌味なほど上質なスプリングは軋みもせずに男二人分の体重を受けとめた。
どうせ浴室に行ったならついでに洗面台で口でも濯いでこればよかったと思いながら唇を舐めてやる。責めるように、縋る様に。
まっすぐにこちらに向けられる双眸に覚えるのは、満足感と背徳感。
キスをするときは目を閉じるべきだと、この子供に教えてやるべきなのだろうけれど、それをしてしまえば硬質に強張っている紫銀が鎔ける瞬間は瞼に遮られてしまう。それは惜しい気がしながら、舌先で唇を割裂く。
下唇を甘く噛みながら、するりとシーツをはぎ取ってやる。
「……クロウ」
僅かに唇が離れた合間に呼ばれて、交接を止めて見下ろした。なんだと声に出して問うことを躊躇ったのは、相手のためを思ったわけじゃなくどこまでも自分のためだけ。
じっと見おろし、目を細めて問いを促す。応えてやれることの方がきっと少ないだろうけれど。
重なった視線が揺れて、伏せられる。
「――後悔、してるだろ」
逡巡の後に呟かれた言葉に、思わず目を見張る。相変わらず、この子供の思考回路が理解できず苦笑を漏らした。
正直なところ、指摘されたとおり後悔はしている。それはきっとリィンが考えている意味とは違う。
「あのなぁ、言っておくがおまえが男だから幻滅するとかそういうのはないからな?」
別に、根っからの同性愛者である自覚はない。むしろ同性異性問わずそういうもの自体にそれほどの執着も貞操感も持ち合わせてはいない性質だと思っていた。目的のためにはある意味で便利な道具ではあったけれど、行為自体に意味だとか情なんてきれいなものも執着も見出すことはないと。
思っていた、のに。
どうして、この子供に向かうとそれが何かにすり替わるのか。
本来の嗜好なんてものはなく、かりそめのそれにしても大きくかけ離れているだろう。柔らかさのない鋭角なラインを描く肢体。顔立ちは幼げではあるけれど、少女と見まごう美少年というわけでもない。むしろ容姿だけならば凡庸な部類。けれどその眼差しの強さと姿勢の正しさは際立っていたとは思う。それはこの子供の、たった十二年間の生き様そのものなんだろう。
眩いほどにまっすぐで。そのくせどこか危うさを孕んでいるせいで目を離せない。
何かに耐えるように噛みしめたままの唇に、触れるだけのキスを落とす。唇を滑らせて顎を噛んで、劣情のままに首筋に舌を這わせる。
「……っん、…ぅ」
ひどく間近で、吐息が震えるのが愉しい。この存在に、どこまでも深く自分という存在を刻み込む行為が。
己の本分をわきまえれば、絶対にあってはならない選択だというのに。
「……っクロウ…、ぁ」
熱を帯びた切なげな声で名を呼ばれて、錯覚しそうになる。喉を噛んだ視線の先で、刺した蒼い石が光を反射する。
体に纏わりつく白いシーツはまるでヴェールのようだと。
そんな発想が浮かんだ己の思考に苦笑してしまう。
最初は。Ⅶ組の重心は誰からも好意を持たれている割に、この子供は誰かのものにはなりえないと思っていた。それは朴念仁だとか唐変木だとかそういうことだけではなく。自分を含めて、彼の視点では平等に『守るべき相手』なのだろう、と。傲慢で残酷な、恵まれた者故の責務。
ある意味では、そうだったからこそ過去の自分は安心して彼を揶揄うことも見守ることも、できていたんだろう。
自己評価の低さから、本能的に人との距離を測って自分からは友情以上の好意を見せないくせに。底抜けにお人よしで誰にでも明るく優しく接して、いつの間にか周りを魅了して巻き込んでいく。それこそ、中心というより重心だろう。あの紫電の言語感覚には、感心するほかない。
飲めない距離に水の入ったコップを置かれる状況には、ずいぶんと慣れているつもりだった。手に入るはずのないものに焦がれ、喉を鳴らし、訴えても誰も助けてもくれやしないことなど、誰よりも深く思い知っていたはずだ。
欲しくて仕方がなかった存在が、こうして目の前にある。それも供物の側が自ら進んで転がり落ちてきた。
飼い慣らし続けたせいでそれが普通だと思っていた飢餓と渇きを自覚してしまえば。止まることなど、できようがない。
シーツを剥いで、晒させた下肢へとボトルの中のオイルを注ぐ。さすがクロイス家のホテルだ。アルモニカ産の蜂蜜とオイルとハーブの天然素材だけでつくられたというふれこみらしい女性用高級化粧品をアメニティーとして大盤振る舞いされていた。もっともあの錬金術師はこんな使い方されるとは思ってもいなかっただろうがと内心舌を出す。
藤色の双眸に浮かんだ怪訝げな光は、口づけ一つで熱に熔けた。
深く舌を絡めて、なじみのない華やかな香りのオイルを、指先に掬い取って奥へ塗りこんでいく。襞に馴染ませながら、宥めるように口蓋を舐めあげてやれば強張ることもなく後孔は指一本を抵抗もなく飲み込んでいく。
唾液とオイルが立てる粘着質な水音と微かな衣擦れ。あとは、熱を孕んだ吐息の音だけが寝室を占める音。
視線の先で、切なげに寄せられた眉根に、キスを解いて見下ろす。
「いてえ?」
突っ込んだ中指の腹で粘膜をぐるりと撫でてやれば、リィンはふるりと首を横に振った。
「痛くはない、けど……」
言葉を探すように呟く唇は、どちらのものとも知れぬ唾液に濡れそぼって光を滑らせる。ふわりと揺れる黒髪を掴んでその口に突っこんで嘔吐くほどにがんがん喉奥をついてやりたい、なんて欲が澱むほどには扇情的だ。想像して湧いた唾を飲み込む。
童貞じゃあるまいし初心者相手にどれだけがっつく気だと自嘲してオイルに塗れてない右手で髪を撫でてやる。
「けど?」
問いかけながら、じわじわと指を埋めていく。指一本ですらぎちぎちに締め付けてくる狭さ。入るんだろうかと不安になる。まぁ入らなくても突っ込むけど。指を伝わせて中にオイルを流し込みながら、紅く滲む紫を見下ろす。
「クロウに触られてるんだと思うと、安心する……?」
リィンのそんな言葉に、息も、鼓動さえも一瞬止まった気がした。くたりとリィンの肩口に倒れこんでしまうほどには。
この子供は恐ろしいと思ってはいたけれど。想定以上だろう。人たらしの本質を見誤っていたのかもしれない。この子供は言葉で人を殺す方法を本能的に知っている本質的な扇動者。
「おい、クロウ?」
慌てたように伸ばされた腕を掴んでシーツに縫いとめる。
喉の奥で蟠っていた空気の塊をゆっくりと吐き出して、深呼吸を一つ。
「おまえ、なぁ……」
「うん……?」
きょとんと首を傾げる様は、ひどく幼気で子供じみていて。
「おまえ、俺の正体知ってるんだよな?」
「ああ」
「なら、俺に安心するってのはおかしいだろうが」
「……そう、か?」
そうだろう。
この子供と相対していると、時々自分が正しいのか間違っているのかわからなくなってくる。いや、テロという破壊工作も、こんな幼気な子供に手を出すことも間違っていることはわかっているつもりだ。間違っているはずのそれすら、重心たる子供は受け入れているんだろうか。
意味の分からない信頼に、混乱する。
この先、手酷く傷つけるだろう。現に今喰われようとしている状況で、何故安心なんてしているのかと。自衛本能の欠落のせいだろうか。そうならば自分以外の前でもこれだけ無防備に肌を、躰を晒すんだろうか。それは少し――いや、かなり面白くない気がする。
「でも、クロウはクロウだろ」
ふわりと笑って。
「内臓の粘膜なんか他人に晒して、触れられて。普通なら怖いとか気持ち悪いとか思うもんなんだろうけど。クロウなら、いい」
「馬鹿、だろ」
思わずこぼれた声は、自分のものだと思いたくないくらいに掠れて。声も表情も、作る余裕すら剥ぎ取られた気がした。
「俺も思ってる。馬鹿だろって」
苦笑を浮かべて、けれど眼差しの強さはいつものとおり真っ直ぐなまま。
「察しろよ……クロウ相手だから、脚開いてやってるんだからな」
くつりと笑って、強請るように脚が絡みついてくる。
「あと、服」
「ん?」
「脱がせてやろうか?」
潤んで赤みを帯びた双眸に笑みを浮かべてそう誘いを掛けてくる。
「そんなに俺の体見たいのか?」
「見たことないからな」
そういえば水練の時期にはまだ、Ⅶ組への編入はされてなかった。同じ寮とはいえそうそう肌を見せる機会はない。夜這いでも掛けない限りは。
「男の体なんぞ見て楽しいもんでもないだろうがな」
「そっくりそのままその言葉クロウに返すよ」
「お前だってシャツだけ着てるじゃねえか」
「こういう方が好きだろ?」
じっとりと半眼で睨みつけられる。その実、その双眸に浮かんでいるのは見てもつまらないだろうという意図で。それこそそっくりそのまま返してやりたいと苦笑して、されるがままにジャケットとシャツを脱がされてやる。するりとTシャツの下に手を這わされて片手でシャツを脱ぎ捨てた。
「……クロウのくせに」
「どういう意味だよ」
素肌に、リィンの指が触れる。
「卑怯だろ」
「意味わかんねぇ」
「背も高いし双銃使いの癖に筋肉質だし手先器用だし頭は無駄に回るし卑怯だ」
「……あのなぁ」
苦笑が深くなる。貶されているのか、煽られているのか。少なくともきっと褒めてはいないだろう。
治りきらない傷跡を、指先がなぞっていくのがくすぐったくて。
「お前の場合は変に体重つけたら速さが落ちるだろ」
「それはわかってるけど、それでもお前に負けるのは悔しい」
ぎっと爪を立てられたのは、埋めたままの指を動かしたせいだけじゃないだろう。
「そんなに俺みたいになりたい?」
「それはちょっと遠慮する」
自嘲気味に笑ってやれば、リィンはゆるりと首を振った。
「まぁ俺としてもこれくらいのほうが、抱き心地はいいけどな」
「……っ」
軽口に抗議するように肩口に思いきり噛みつかれた。
ゆっくりとじっくりと、内側から浸食されていく気がする。
痛みはないけれど、正直なところ怖くないわけでもない。
「……っ、ぅ」
唇は噛むなと言われたから、クロウの首筋に噛みついてやる。皮膚の薄い部分には俺がつけた歯型だらけだ。腕を伸ばして背中に爪を立てて、必死にその感覚に耐える。
体の中で異物が蠢く感触なんて、知らない。それが齎す快感なんて、知るはずもなかった。
体が、感覚がばらばらに壊されて再構成されて、上書きされていく感覚には覚えがなくもない。それはARCUSの戦術リンクを繋いだ瞬間にも、似ている気がする。
頭が、意識がぶれて誰かの意識が深く重なる感覚。その感覚をもっと鋭利にしたような。
もうやめてくれと叫びたいくらいに。じわじわとその悦楽が腹の中を焼いて渦巻いて、澱んで積もっていく。
それを齎している男を睨み付けて、性質が悪いと内心で毒づいた。
痛みにならば慣れている。無理矢理に暴かれるのならば、ただ悲鳴を歯を喰い締めて押さえればいいだけだ。
けれど。只管気持ちいいことだけを繰り返されて、けれど決定的なそれは与えられず焦らされて。
どうしたらいいのかわからず、必死にしがみ付く。零距離で触れた肌から伝わったのは、微かに笑う気配。それにどうしようもなく切なくなる。どこまで子供扱いされているのかと。
対等に向かい合いたいと望むことも、俺には許されない強欲なんだろうか、と。
指一本でもきつく感じていたそこにさらに増やされて広げられる感覚に上げかけた悲鳴は、喉の奥で留めた。
「……っ、ん、ぅ……」
縋りついて、咬みついて。意識を炙るような快感のもどかしさに足がシーツを滑った。
ぶつりと裂けるような音と歯が食い込む感触と、一瞬遅れて口の中に溢れた鉄錆に似た匂い。力を入れて噛みすぎて、クロウの皮膚を食い破ってしまったらしい。
そのくせ、この男は痛みに呻く様子もないのに腹が立つ。
人には自己犠牲が行過ぎるだとか保身を覚えろとか説教くれるくせに。テロリストのリーダーなんて矢面に立つ憎まれ役を買って出てる時点で、クロウの方が相当に自己犠牲の塊みたいなものじゃないか。VやSやギデオンは俺たちと違っていい年をした『大人』だというのに、寄ってたかって俺と二歳しか差のない学生に役目を押し付けて。クロウにリーダーをこなすだけの能力も知識も人脈も魅力も責任感もあるからこそ、なんだろうが。
そう考えてわが身を振り返る。
特別実習だってなんだって、俺たちは――俺は、大人に守られる側だったんだと思い知らされる。普段の言動はともかくサラ教官は頼りになるし、理事たちや理事長や、クレア大尉にもずいぶんと優遇してもらっているんだろう。
滲んでくる血を、歯型を舐る。
どこか呆れたように苦笑する気配に、眉を寄せる。
「こんな傷くらい、舐めてれば治るだろ」
「治るまで舐めてくれるのか?」
くつくつと楽しげに笑われて、舐めあげた歯型にもう一度噛みついてやる。
二度目だからか、最初より深く食い込んで滲むどころじゃない血が溢れる。そこまでしてようやくクロウが息を飲む気配がして、なんとなく。溜飲が下がった気がした。
美味いものでもない赤を、舐めとってやる。
「――悲鳴の一つでもあげればかわいげがあるのに」
「あのな、俺にかわいげ求めてどうするんだよ。持ち合わせもねえぞ」
「俺がかわいがってやろうか?」
ユミルで父さんと母さんやエリゼにもらったように。トールズでクロウが俺にくれたみたいに。クロウが何かを失ったんだとしたら、俺が代わりに埋めてやる。
「おまえね、疑問形の上、噛みついておいてそう言うかねぇ」
「だってクロウだからな」
「意味わからん」
「その無駄に回転の速い頭使って察しろ」
舐めとっても溢れてくる血に、さすがにやりすぎたかと思いながら手の甲で唇を拭う。
「つまりリィンくんはサディスト……」
「殴られたいのか、クロウ?」
笑みを浮かべて言えば、クロウは笑って首を横に振った。
慣らされる行為のいたたまれなさに、何度ももういいからさっさと突っ込んでくれと思ったけれど。腰の下に枕を詰められて脚を抱えあげられて取らされた体勢に、とっくに焼き切れていたと思っていた羞恥が湧き上がってくる。ひどくみっともない顔をしているだろうから見られたくなくて顔をそむけて腕で目元を隠した。
さっきまで耳を塞ぎたいほど響いていた水音は止んで、代わりにクロウの静かな呼吸音と微かな衣擦れだけが耳を打つ。あと、壊れそうなほどに脈打っている自分の鼓動。
「力抜いとけよ。あと息は止めずにゆっくり深呼吸な」
耳元で囁かれて、言われた通りに素直に深呼吸して意図的に体の力を抜いていく。けれどそれも、自分から閉ざした視界のせいで余計にリアルに押し当てられた熱と響いた水音で一瞬止まった。
またかすかに笑われて。宥めるようにあやすように、顔を覆う腕に唇が押し当てられる。大きな掌が俺の脚を撫でて――
「……クロウッ、……」
「…っつ、きつ…っ」
あれだけ解され慣れさせられた孔を貫かれる痛みに、息が詰まった。変な風に強張って、吐き出すことも吸うこともできずに、金魚みたいにはくはくと口を動かす。
耳に届いたかすかな呻きにだけは少し満足したけれど。
「声出せって」
「……無茶、言うな……ぅっ」
顔を覆っていた腕の片方をクロウの首に巻き付けて、引き寄せる。肩口に額を押し当てて泣き顔を隠して。広い背中に爪を立てた。
圧迫感がひどくて、浅くしか呼吸ができない。水に飲まれ、溺れていく感覚。そのくせ身の内は、焼かれるように熱くて。
痛いというよりも、苦しい。腹の中が満たされて、深く息を吸えば中のものの形を意識してしまいそうで途中で止める。
「……ったく」
しょうがない奴だとでもいうように、髪が撫でられて、必死にしがみ付いていたのにあっさりと引っぺがされた。なんでそんなに余裕綽々なんだ、こっちはもう色々と限界なのに。
顔を隠す暇もなく、ばっちりと視線が重なった。
「嫌、だ……っみる、な」
睨み付けて、顔を掌で隠す。悔しさと恥ずかしさで顔が熱くてどうしようもなくて。顔に触れた指の冷たさに、びくりと跳ねる。
指先が頬を滑り唇を撫でる。そのまま、柔らかく熱いものが唇に触れた。
「……っん」
そよぐように柔らかなキスは、宥めようという意図が明確で。抗議しようと突っ張った腕も容易くクロウの手でシーツに縫いとめられる。
口を塞がれたまま、浸食は止まらなくて。指で暴かれたよりずっと深く入り込んでくるものに、涙が押し出される。
粘膜が引きずられるような挿入が止まって、ようやく唇が解放された。
「すげーきつい」
苦笑とともに落とされた言葉に、脳裏で黙れ馬鹿と反応する。口に出す余裕なんてかけらもないけれど。
繋がっている場所を確かめるように指が触れて撫でられて、背筋が跳ねた。そのせいで抉られる角度が変わって、息を飲む。
「……っばか、だろ」
喰い締めた隙間から、呻きが漏れる。それすらもあやされて流されて。抱きしめられた。
同性だから。入れただけで終わるなんてありえないことくらいわかる。だから突っ込んだだけでクロウがじっとしているのは俺が慣れて落ち着くまで待ってくれているんだろう。
馬鹿じゃないのか、と思う。好き勝手に動けばいいじゃないか。いつも、そうやっているふりをしているくせに。思いながら、いつだってそうやってちゃんとセーブして守られていたんだろう、今までだって。
ふぅ、と意識して深く息を吐く。
こんな状況で子供じみた意地を張って自己嫌悪に陥っていたところで、何にもならないだろう。
涙を手の甲で拭って、隠す必要のなくなった手を下肢へと伸ばす。
「リィン?」
訝しむような、心配するような声で耳元で呼ばれて。くすぐったさに苦笑した。
伸ばした手で、先刻クロウが触れたように、繋がって受け入れている箇所に触れてみる。たっぷりと塗されたオイルで濡らされて、自分でも信じられないようなものを受け入れている境界。
「俺の中クロウでいっぱいだ」
知らず浮かんだ笑みは、自嘲なのか幸福感なのか。
「おまえなぁ……そういうことあんまり言うなって」
「熱くて大きくて硬い、っていう方がいい?」
くすくすと笑えば、そのかすかな動きだけでもいろいろと感じてしまうけれど。
「あからさますぎてつまらんな。どこのエロ本だよ」
「そういうの読んだことないけど、俺」
クロウは、うん。多分読んでるんだろう。寮のベッドの下とか、前に引っ越し手伝った時とか、いろいろきわどいグラビア雑誌とかもあったし。本だけじゃなく実践もずいぶんこなしてきたんだろうと思う。こんな面倒なことを、ずいぶんと手馴れている様子だし。
「今度貸してやろうか」
「いらないから」
嘆息しながら、まだ傷が塞がっていない咬み痕に舌を這わせる。笑いかけたクロウが息を飲んだのを感じて、それが嬉しい。この男の余裕を、剥ぐのがひどく楽しい。
「クロウ」
「おう」
「もう慣れたし、動いてもいいぞ?」
強請る様に、腰を揺すれば返されたのは苦笑一つだった。
「まぁがっついてもっと泣かせて叫ばせたいってのもあるがな」
あるのか、と内心嘆息する。俺なんかにそんな欲を持ってもらってることはうれしいのかもしれないけれど、この男のそれはなんというかひどく偏っている気がしなくもない。
「今は、もう少しこうしていたい」
「……へ?」
「いやか?」
問われて。髪を撫でられて抱きしめられて。
どうするべきか考える。
「嫌、じゃない」
嫌ではない。本音を言えば開かされた脚は痛いしガクガクだし、少し動くだけで中の剥き出しの神経を嬲られるような感覚もつらいけれど。耐えられないほどでは、ない。
けれど。
それでクロウは満足なんだろうか。
「なんか、惜しい気がしてな」
ふわり、と。いたわるように髪が撫でられる。
「クロウ?」
どういう意味かと問おうとして、名を呼んでみる。
案の定、応えは返されない。何を惜しむというのか。学院に対する未練?
「時間が……止まれば、いいのに」
「どんなおとぎ話だ」
くつくつと、喉奥で揺れる。
「まぁ、嫌いじゃないけどな」
「おとぎ話か? クロウには似合わないよな」
どこまでも現実主義だろう。この男は。夢想家であればあの笛吹きのように――
浮かびかけたイメージを、首を振って振り払う。
「おとぎ話の方が過酷だろうが。現実に、竜の珠もってこいなんて言うお姫様はいねえよ」
「それは残念だな」
「なんでだ?」
「竜の珠程度でクロウを手に入れられるなら、いくらでも探してきてやるのに……って、ぇ……っうぁ…っ」
呟いて、クロウの背中に指を走らせれば、その腕をぐいと掴まれた。なんだと問うよりも先に、体ごと引かれて体勢を変えられた。向かい合って膝に座らされているような位置で。突っ込まれたまま対応もなにもできず、自重でさらに奥まで飲み込まされる。そのまま揺すぶられて、声を噛み殺すこともできなかった。
「……っクロ、ウ」
何が惜しいだ。必死にしがみ付いて、感じすぎる場所に当たらないように腰を逃がそうとしても大きな掌が容易く掴んで押し上げられる。
止まりかけていた涙が、ぼろぼろと零れる。クロウの腹に押し当てられた自身を撫で上げられて、震えた。
「腺液でどろどろだな。ローションとかいらないんじゃねえ?」
「悪かった、な……浅ましくてっ」
「ばぁか――感度が良くて最高って言ってるんだよ」
笑われて、後ろ髪を掴んで引かれて無理矢理上を向かされる。そのまま深く口づけられて、苦しさに呻いた。
意味がわからない。クロウが考えていることも、俺自身が、どうしたいのか、も。
ゆるやかだった律動が徐々に速く。追い上げられて、見知らぬ高みにまで突き上げられて意識が真っ白に弾けた。
雨音にもにた音に、意識が呼び起される。
「……目、覚めたか?」
心地いい暖かさに、ゆっくりと瞼を上げた。ぼやけた視界に映るのは上質な黒大理のタイルモザイク。目を擦ろうとして、指一本すら自由に動かない事実に気づいて視線だけ動かす。
「クロ、ウ……」
呼ぼうとして挙げた声はひどく掠れていて。
「あー、悪いなリィン。加減できなくてお前に無理させた」
極まりが悪そうに苦笑して、クロウが俺の唇を撫でた。
状況把握。
見覚えのないここはおそらく、ミシュラムの《ホテル・デルフィニア》の一室のバスルームだろう。
あのあと、情けなくも気絶して、クロウにここまで運ばれて洗われていたのか。バスタブに満たされた温かな湯と、ふわふわの泡。危険性は感じられない。
ぼんやりと、されるままクロウを見上げる。
「……お前な、無防備すぎるだろ」
そんな顔してるとまた食いたくなる、と笑われて内心で首を傾げる。そんな顔といわれても、そんな変な顔をしてるんだろうか、俺は。
あたたかな湯が。髪を濡らして落ちていく感覚に目を閉じる。
「お前って意外と髪長いんだな。濡れてると別人みたいに見える」
「……たまに、言われる」
跳ね癖が強いから多少濡れたところであまり変わらないけれど。濡れた髪に、頭にクロウが触れるのが気持ちいい。人に頭を、体を洗われることなんてなかったから新鮮な驚きだ。さっき使われたオイルと似た、華やかな印象の香りの石鹸の泡。
「もう少し寝てていいぞ」
「ん」
クロウの声に、素直に従う。元々酷使された体は休息を求めていたんだろう。意識が落ちるのは一瞬だった。
窓から差し込む陽光の眩しさに、意識が浮上する。
瞼を開いて、瞬きを一つ。ゆっくりと手を持ち上げて見れば筋肉が軋みはするけれどなんとか動かせるレベルだ。
ゆっくりと、体に響かないように身を起こして部屋の様子を見る。
「……クロウ?」
起きた時から、部屋には自分の気配しかなかったけれど、一応呼んでみる。けれどやはり返事はない。ベッドに寝かされていたのも、この部屋にいるのも自分一人だ。
想定していたはずだ。
正体を暴いて。どうなるか、なんて考えなかったはずがない。
殺されるか、消えるか。前者の方が確率は高いと読んでいたけれど。
そっと、右耳に触れてみる。そこに残されていたのは、微かな痛みのみで。
「ははっ……残り香一つ、残してやくれないんだな。お前は」
不思議と涙は、浮かばなかった。昨夜泣きすぎたせいだろうか。
シーツにくるまったまま、膝を抱えて額を押し付けて。ただ笑うことしかできなかった。
pixiv [2014年1月9日]
© 2014 水瀬
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