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6

 港湾区から乗ってきた水上バスから桟橋へと降りて、クロウは眩しげに目を細めた。

「あの辺におまえんちの別荘とかあったりするのか?」
「あるわけないだろ。ユーシスとかパトリックかアンゼリカ先輩の家の別荘ならあるかもしれないけど」

 エレボニア帝国の四大貴族の一家だ。自治州に別荘くらいもっていてもおかしくはないのだろう。

「なら俺よりアルバレアの二男坊連れてきた方がよかったんじゃないのか? なぁ」
「往生際が悪いな、クロウ」

 リィンにじっとりと半眼でねめつけられて、クロウは苦笑で応えた。

「ユーシスやマキアスと来たところで男同士なのは一緒だろ。そりゃきれいな女の人とデートするほうがクロウは楽しいだろうけどさ。今回は俺で我慢してくれ」

拗ねたように。甘えたように。
わずかに唇をとがらせて。いつもどおりの、まっすぐすぎるきらいのある眼差しで。

「だけど俺は、クロウとじゃなきゃ意味がないんだ」
「……おまえなぁ」

 いきなりなにをいいだすのだろうこの子供は。

「それこそ、『きれいな女の人』に言うべき言葉だろうがよ、ラインフォルトのご令嬢だとかおまえの妹とか!」
「なんでアリサやエリゼが出てくるんだ?」

 本当に、まるっきり意味が分からないとでもいうようにきょとんと首を傾げられ、頭痛を覚えたのはおそらくクロウのせいではないだろう。あれほどわかりやすく好意を示されていて、よくこの態度をとれるものだ。いっそ感心すら覚える。
彼女たちが、リィンが吐いた言葉を知ったらどう思うだろうかと考えかけて、そもそもそんな心配をしてやるほど近しいわけでもないかと首を振って考えを払う。
 わかっていることはこの目の前の黒髪の子供のどうしようもなく、性質の悪さ。
 応えなかったクロウに、リィンは眉根を寄せて、手を伸ばした。

「……おい?」

 ぐっと手首を握られて、クロウはうろたえる。

「そんなに俺と一緒にいるのが嫌なら、さっさと用事を済ませてしまえばいいだろ」
「あー、あのな、別にいやだとかは俺一言も言ってないんだけどな?」

 とはいえ、積極的に楽しむつもりもない。そもそも今クロウの手を引いている少年は暴走導力自動車相手に大立ち回りを演じたうえ、池に落ちてぶっ倒れてクロウのおかげでついさっき起きたばかりという、病み上がりなのだ。
 変にはしゃいでテーマパークを歩き回ったせいでまた倒れたら、困るだろう。クロウがではなく、この子供自身が。

「じゃあさっさと来いってクロウ。のんびりしてたら帰りの水上バスがなくなるだろ」

 そんなクロウの心配はよそに、子供はぐいぐいと腕を引っ張る。
 なんとなく、散歩に行きたがる子犬の姿が重なって見えた気がした。

 観覧車におとぎ話に出てくるような鏡のお城。そんなテーマパークを尻目に、リィンは迷いのない足取りでアーケードへと向かった。腕を取られたままのクロウも、おのずとついていくしかない。
 振り払えないほど力を入れられて掴まれているわけではない。単純な膂力の差は体格に勝るクロウに分がある。
 振り解かず、おとなしくついていくのはクロウの意思だと、この子供はわかっているのか。
 どれだけ自戒しても、こうして従っている時点で手遅れなのだろう。
 クロウにとってはほとんど縁もない、高額な商品の並ぶ店。リィンはそれらを一瞥して、目的の店へと足を踏み出した。

「お客様、もうしわけございませんが当店は会員制になっておりまして」

 そういって頭を下げる店員に、クロウが近づいて何かを囁いた。それだけで店員はこくりと頷いてドアを開ける。

「……何を言ったんだ?」
「んー、こちらにいらっしゃるのはエレボニア帝国の皇族ゆかりの貴族の御曹司だってな」

 ウインクなんかをしながら冗談めかして応える。
嘘ではないけれど真実だとも言い難い。それでもそれだけで通してもらえるほど甘くはないだろう。
 それでもリィンにとってはミシュラムまできた目的の一つだ。どんな手段を使ったのかはこの際置いておくことにしたらしい。

 きらびやかな商品が並ぶ宝石店ディアマンテ。学生の身分では縁のない店だろう。
 リィンは相変わらず、まっすぐに目当ての品へと歩いて近づく。会員ではないのに、その変に堂々とした所作は容姿とはいえ貴族のもつものか、それとも八葉を収めた人間のもつものなのか。観劇用にとデパートで買いそろえたらしいジャケットスーツは既製品だろうに、どこか品よく感じさせるから不思議だ。育ちのなせる業なのだろうか。

「何かほしいものでもあるのか? 妹さんへの土産か?」
「……すいません、これ見せてもらっていいですか?」

 問いかけてみれば、一睨みされた上に露骨に無視される。一体、何をそれほどむきになっているのか。
 店員がショーケースから取り出したのは、ピアスだった。シンプルな、どこにでも売っていそうなリングピアス。けれど値札に書かれている0の数にクロウは眩暈を覚えそうになる。見た目はクロウがつけているものとそう変わらないようにみえるというのに、だ。細工によほど自信があるのか、それとも素材が違うのか。

「こちらは男性の方にもご好評いただいているんですよ」

 愛想のいい店員が、リィンが指示したいくつかのピアスを見やすいように差し出すのを、リィンはこくりと頷いた。

「じゃあ、これをお願いします、あ、包まないでそのままでいいんで」
「……おい?」

 かしこまりました、ではお会計だけいたしますといちど商品を手に下がる店員を見送ってクロウは首を傾げる。

「女子におくるにはシンプルすぎやしないか?」

 呟きは、相変わらず無視される。そのくせ、捕まえたままの手はいまだに開放はされていない。
 ならばⅦ組の男子へのお土産だろうかと考える。トリスタで待っている筈の留学生と中将の息子もピアスはしていなかったように思う。今頃どんな顔でアルカンシェルを観劇しているのか、アルバレアの坊ちゃんやメガネも。

「あのなぁ、クロウ」

 視線は相変わらず逸らされたまま。リィンが口を開いた。

「なんのために俺がおまえとここに来たと思ってるんだ?」
「土産を買うため、だろ?」
「……まぁ、お土産といえばお土産になるのかもしれないけどな」

 どこか呆れたように呟いて、帰ってきた店員と幾度か会話を交わす。支払いをすませて受け取った生身のリングピアスを手に、満足げに笑みを刷いた。
 まぁリィンが満足したのならそれでいいかと思ってしまう自分は、相当ほだされているのだろう。
 本分を、忘れたわけじゃない。けれどクロウ・アームブラストという学生にならば許されてもいいんじゃないかと。

「クロウ」

 どうにも思考が散漫になっているらしい。
 名を呼ばれて、リィンを見下ろす。
 考え事をしていた間に、掴まれていた腕は解放されていたらしい。リィンの手がクロウの鼻を撮んだ。
 予想外の行動に、抗議の声を上げる隙もなく、引き寄せられる。互いの鼓動すら、聞こえそうな距離でリィンの指が、右の耳朶に触れた。

「なんでエリゼやアリサに渡すものを買うのにクロウを連れてくると思うんだ?」

 溜息交じりに。けれど、それでもどこか嬉しさを滲ませて、買ったばかりのリングピアスを慣れぬ手つきでつける。

「お礼だって、言ったはずだけどな」
「それこそ、いらんといっただろうが……しかもこんな上等なもん」
「駄目か?」

 しょんぼりと垂れた耳としっぽの幻を見た気がする。それが、自分で予測していた以上に心臓に悪くて。
 いつから。どこまで。この子供に浸食されていたんだろう。

「……あのなぁ、ピアスっていうもんは一回つけたら返品きかねえんだよ」

 そんな言い訳を、自分に対して用意してまで。この子供の望みをかなえようとするなんて、どうかしているとわかっているのに。

「サンクス。大切にする」
「……約束だからな」

 いつか。手放すときが来る。予測ではなく確定されている未来を知っていながら。
 欺瞞を自覚しながら、それをうれしいと思ってしまった。



「よし、じゃあ次はMWL見に行こう」

 宝飾店を出てどこかすっきりとした笑顔で言うリィンに、クロウはがっくりと肩を落とす。

「……いくのか、やっぱり」
「ああ、せっかくだからな。それこそお土産買わないと。ティオにおすすめも聞いたことだし」
「お土産買うのに俺をつれてく必要はないんじゃなかったのか?」
「ああでも、クロウはセンスよさそうだから案外ありかもしれないよな」

 ついさっき自分が言い放った言葉を反転してみせながら。リィンは値踏みするようにクロウをみた。普段リィンが目にしているトールズの紅い制服ではない私服だ。ミリタリー風のフードつきのジャケットにシルバーのメダリオンネックレスとウォレットチェーン。
 思い出してみれば制服の着こなしも、送られてきた制服をそのまま着ているリィンとは対照的に、個性的なくせにバランスは悪くなかった気がする。

「それこそ、贈るなら自分で選べって」
「だけどアドバイスくらい、くれたっていいだろ」
「おまえアドバイスしてやったら、流されてそのまんま買うだろ」
「…………」

 リィンが決まり悪そうに視線を泳がせる。
 アドバイスしてくれた相手に悪いと思ってしまうのか、元々が自分という存在の価値や影響力を理解していないこともあるだろう。
彼女たちならば、リィンからプレゼントされたというだけで重要だろうに。

「まぁ荷物持ちとお目付け役くらいなら、つきあってやらんこともないがな」
「はは、じゃあ頼む。クロウ」

 そういって、リィンが先にテーマパークへと歩き出す。
 宝石店へと連行したときには掴んでいた手は、解放されたままだ。そのかわりとでもいうように耳につけられた新しいピアス。
 自由になった手の置き場に少し迷って、とりあえずポケットに突っこんでおいた。



「……さすが天下のIBCだな。ミラ回りのよさそうなことで」
「一体どういう視点なんだよ、それ」

 入場チケットを二人分買いながらリィンは苦笑する。

「イッパンジンが宝くじに百回当たっても届かない資産を自由にできる気分ってどんなのだろうって思わないか?」
「……それは確かに想像もつかないな」

 買ったチケットでゲートをくぐれば、そこは作られた夢の国だ。MWLのマスコットみっしぃの顔を描いた花壇。観覧車に鏡の城。露店の色とりどりの風船やみっしぃグッズの数々が並んでいる。
 子供たちが元気に走り回って歓声を上げている。視線を向ければ、そこにMWLのマスコットキャラクターであるみっしぃのきぐるみがいた。

「さすがにあれをやりたいとは言わねえよな?」
「いいじゃないか。行くぞクロウ」

 みっしぃと一緒に園内を回っているテーマパークのスタッフの手にはオーバルカメラがある。それも最新式のプロ仕様だ。

「さすがに男二人で遊園地できぐるみと写真撮影はないだろ……寒いだろ」
「来たからには全力で楽しむべきだろ」
「ならおまえひとりで撮ってもらえって」

 子供たちにまじって順番を待たされる間も、仏頂面で小声で言い合う。

「往生際が悪いな。付き合ってもらうっていっただろ」
「……聞いた覚えはねぇな」
「ほら、次俺たちの番だからちゃんと笑えよ? クロウ」

 どうぞー、というスタッフの声に、リィンはみっしぃへと駆けよる。心の底から気が進まないもののクロウもそのあとを追う。
 何が悲しくて、この年になって中身が汗だくのおっさんの汗臭い着ぐるみと記念写真など撮らなければならないのだろうか。笑えという指示はあったが、この状況に対する乾いた笑いくらいしか浮かばない。

「みししっ。お兄さん笑って―」
「とりますよー」

 ――なぜ、この着ぐるみはここに立っているのだろうとクロウは首を傾げる。写真を撮りたがったリィンの側か、せめて二人の間に立てばいいんじゃないだろうか。
 みっしぃとリィンに挟まれる位置で、クロウは死んだ魚のような目をしたまま唇を引き攣らせた。

 入園すぐの写真撮影だけで、ごっそりとRPを削られた気がする。

「意外だな」
「……何がだ?」

 みーしぇレモネードのカップを傾けて氷を奥歯で?み砕きながら、クロウが聞き返す。

「クロウはお祭りみたいなこういうの、好きなのかとおもってた。夏至祭にも来てたし」
「あー、祭自体は嫌いじゃねえけどな。どっちかというと客としてより企画する側の方が楽しい」

 なまじ裏側を知ってしまっているから、客として見たときに醒めて見てしまう。

「このレモネードだって単価にすれば10ミラもしねえと思うぞ?」
「それ200ミラで買ったんだけどな」
「みーしぇって名前つけてこのテーマパーク内で売るだけで、それだけの付加価値をふっかけてきてやがるんだ。ボロい商売だよなぁ」
「夢の国でそういう夢のないことを言うなって。それにそもそもそのレモネードも入場料も俺持ちなんだからな?」
「ごちそーさん」

 空になったカップをくずかごへと投げる。きれいな放物線を描いてみーしぇのイラストの入ったカップがかごに落ちた。

「で? 次はどこにいくんだ?」
「鏡の城」

 テーマパーク正面にそびえたつ中世を模した城を見上げる。

「ローエングリン城にシルエットが少し似てるな」
「『本物』を見てるんだから、わざわざここの城見なくてもいいんじゃねぇか」
「いいだろ、……むしろローエングリン城はあっちのほうが近かったし」

 そういってリィンはホラーコースターを見上げる。

「ああ、『死者の王』、だったか。ますます本物見てたらまがい物見る意味なくないか?」
「そうでもないさ」

 鏡の城へ続く、真新しい作り物の石畳をゆったりとした歩幅で歩いて振り返る。

「『偽物』は安全だから嫌いじゃない。テーマパークのお化け屋敷の幽霊は、客を殺しはしない。楽しませるために存在してるから」
「そういうもんかね」
「多分、クロウの方がよくわかってるんじゃないのか? 企画する側のほうが得意なんだろ」

 リィンの言葉に苦笑する。

「それでもまがい物はまがい物。このテーマパークだって、ただの観光地じゃないかもしれない。本質がどれだけ危険でも、上っ面は安全をうたってるものを信用できるか?」
「信用はないだろうけどさ、それでも俺はここの雰囲気は結構嫌いじゃないな。フェイクだとしても」
「それは外面に騙されてるだけだろ」
「うーん、なんていったらいいんだろうな。見えてるものだけがすべてじゃないけど、見えてるものだって本質の一部なんじゃないのか?」

 僅かに目を伏せて、言葉を選ぶようにリィンが呟く。

「たとえばこの石畳だって、子供たちが転びにくいように、車椅子や乳母車の人が困らないように段差がないだろ。作り物だけどこれを設計した人はどんな人にも楽しんでもらえるように作ってる。本質を覆い隠すためだけの偽りの仮面にそんな配慮をする存在の本質が、他者を不用意に傷つけるとは俺は思わない」
「そういう風につくれって法律があるだけだとしてもか?」
「それはずいぶんと順法精神にあふれてるいい奴だな」
「すっげぇ無理矢理に好意的に見てるだろ」

 半眼で呟けば、俺も言っていてよくわかんなくなってきたと苦笑が返された。それでも視線は、相変わらずの強さを見せている。

「今回は見に行き損ねたけどさ、アルカンシェルの公演だってお芝居っていう作り物だろ? それを見てみんないろいろ感じたり考えたりするんだろうし、だからといって演者のイリア・プラティエの本質と『太陽の姫』のどちらかが悪いとかいいとか、ないんじゃないのか? どちらも彼女だ」

 鏡の城の扉をくぐる。
 美しくきらびやかに飾り立てられた場内。まるで夢見がちな少女の理想を形にしたような。
 クリスタルのシャンデリアに光が乱反射して、室内だというのに眩しさすら覚えるほどだ。
 そして散々作り物だ偽物だという会話を交わしたけれど、鏡の城の調度を見渡せば、それらは本物といえるものが使われている。それこそ意図的に。

「それでこの少女趣味な城でなにをするんだ? 宝探しか?」
「最上階の広間にある鐘を鳴らすらしい」
「……なんだそれ」
「願い事が叶うってティオが言ってたな」
「鐘ならすだけで願い事が叶うなら、学生でも馬券買えるようにしてもいいと思わないか?」
「思いません」

 一蹴して、リィンは階段へ向かう。

「それに、願い事は人に言ったらかなわなくなるからな。その願いはもう絶対に叶えられないだろうな」
「おいおい、そりゃねえだろ……くっそ、じゃあ何願うかな」

 願いなど、思いつかない。
 悲願ならばあるけれど。それをこんな城の鐘が叶えてくれるとも思えない。誰も叶えてなんかくれないから、自力で叶えることしかできないのに。
 頭を悩ませながら、先を行くリィンの後姿を見遣る。段差のせいで普段は僅かに下にあることに慣れていた跳ね癖のある黒髪は見上げる位置にあって。その頭の中でどんな願い事を考えているのか、少し気になった。
 言ってしまえばかなわないというなら、きっと聞き出すことはできないだろう。この子供のことだ、ずいぶんと平和で温かな――生ぬるい願いを考えているのだろう。
 階段を上りきったところで扉に阻まれた。

「行き止まりか?」
「いや、一組ずつ入ることができるみたいだ。多分、俺たちの前にきた客が願い事してるんじゃないか」

 リィンの言葉を肯定するように、迎え入れるように扉が開かれる。鏡張りの大広間には、大きな鐘が一つ置かれているだけで、他の客の姿は見えない。

「クロウ」

 声をかけて、大広間へと入っていく。クロウとリィンが通った後、扉は再び閉じられた。

「誰かが他人の願い事をする現場を見てるってことだよな、これ」
「テーマパークのアトラクションだしな。鳴らさなきゃきっと帰らせてもらえないぞ?」

 苦笑しながら、リィンは中央の壁ではなく、階段の上の壁一面を占める大鏡の前に立った。
 誘われるように、そっと鏡の表面に触れようと伸ばした手は、しびれるような小さな衝撃とともにはじかれる。

「っ……」
「どうかしたか?」
「いや、なんでもない」

 応えて、鐘から繋がる鈴緒へと向かう。

「ちゃんと願いしろよ、クロウ」
「わかったわかった」

 よほど信用がないらしいと苦笑して、二人で鐘を鳴らして階上の鏡の前に立つ。目を伏せて、何かを祈るように『願い事』をしているらしい鏡像のリィンの姿をただ眺める数瞬が、ずいぶんと長く感じた。
 自分の願いは自分で叶えるからどうでもいいけれど。この子供の純粋だろう願いが叶えばいいと、そう思う。

「満足したか?」
「ああ。クロウの分もしっかり頼んでおいた」

 満足げに応えたリィンは、再び鏡を見遣る。

「この鏡、本当に『なんでも願いが叶う』ようになるかもな」
「信じるのか? リィンくんってば純真すぎてお兄さん心配になるぞ」
「鏡そのものというより……うーん、気配というか、なんかこの城、変な感じしないか?」

 違和感を覚えているのだろう。
 確かに、脳裏に浮かべた地図でもこの位置には意味がありそうにも感じる。

「言われれば確かになんか胡散臭いな」
「……それ、クロウにだけはいわれたくないだろうとおもうよ、誰かさんだって」
「リィンくん、どういう意味だそりゃ」

 いつものように肩に腕を回して頭をわしゃわしゃとかき撫でてやれば、リィンはくすぐったげに笑った。



「よし! じゃあ次はホラーコースターだ」
「行くのかよ結局」

「クロウ」
「任された!」

 愛銃ではなく、用意されていた導力銃を構える。
 コースターといえどそれほど高速で走るわけではない。ほとんど屋敷内をゆっくりと進んでいくだけだ。時折落下する程度。
ここのところ溜まっていく一方だったフラストレーションを発散するべく飛んでくるゴーストをノーミスで打ち抜いていく。

「さすがクロウだな」

 ホラーバスターとやらの記念品は、リィンにそのまま投げ渡す。

「で? 次はなんだ?」
「あれ、乗らないか?」

 そうしてリィンが指さしたのは、観覧車だった。

「ま、いいけどな」
「さすがにあきらめたか?」

 笑って、リィンは園内を歩いていく。鮮やかな夕焼けの中、影がずいぶんと長く感じた。



 八角形のゴンドラに男二人で乗りこみ、赤に染まったミシュラムを見下ろす。

「なぁ、クロウ」

 窓の外に視線は向けたまま。名を呼ぶ。

「なんだ? まさか観覧車が怖いとかいわねえよな?」
「茶化すなって……クロウ、外出届出さずに来ただろ」

 唐突に向けられた話題に、首を傾げる。支援課ビルでユーシスやマキアスと別れる前に彼らからその話が伝わったのだろうか。

「あとで出す」
「それじゃ外出届じゃなくて反省文とか始末書とかそういうものだろ」

 困ったように眉尻を下げて、笑う。

「今回に限っては俺の不始末だからさ、後でサラ教官に一緒に謝るよ俺も」
「別におまえのせいじゃねえだろ」

 むしろ、この件に関してはリィンはほぼ被害者だ。

「そういってユーシスまで同罪にして、アルバレアの権力でなんとかしてもらおうとか思ってないか?」
「……おまえなぁ、俺をなんだと」

 考えていたことを言い当てられて、わずかに言い淀む。

「ずっと、考えてたんだ」
「おい?」

 クロウの内心の動揺に気付いているのかいないのか、リィンは窓のそとを向いたまま、鞄から封筒を取り出して翳した。リィンとマキアスを結果クロスベルまで呼び出した、特別実習の時に使用されるものとおなじ封筒と便箋。

「これの差出人……いや、そもそも前に俺に薬入りのクッキーを食べさせたのは誰か。それにどんな意味があるのか」
「わかったのか?」
「あくまで、俺の推測でしかない。証拠もないしな。それでも、聞いてくれるか? クロウ」

 外の景色を見ていた眼差しが、まっすぐにクロウを射抜く。夕陽に透けて、普段の紫銀より赤みを帯びた眸は、クロウのそれの鏡写しのようにも思える。

「まず先に、俺をクロスベルに呼び出したのは誰か。レクター大尉にも指摘されたが、そもそもただの士官学院生に価値はない。マキアスの場合は知事への人質や牽制としての価値があるけど、俺の場合シュバルツァー家にそれほどの権威も権力もないし養子だからな。シュバルツァー家を従わせたければ俺よりエリゼを狙うほうがよほど効率的だろ――させないし許しはしないが」

 おそらくシュバルツァー男爵や学院の連中に聞けば違う答えが返ってくるだろうけれど、本人の自己評価はそうなのだろう。そしてそれはおそらく、リィン個人と面識のない性質場からの客観視としてはかなり正確でもある。

「目的としてシュバルツァー男爵家を動かすことは除外していいだろう――それに、うちの実家よりなにより現に俺を餌に釣られてクロスベルまで来た人物がいるからな」
「リィン……」
「レクター大尉は愉快犯だって断言してたけど。『これ』は、おまえをクロスベルに呼び出すための、クロウ宛の遠回りな招待状なんじゃないか」
「俺が来たのはおまえが呼びつけたから、だろうが」
「そうだけどさ、俺がクロウを呼ぶようにわざわざグノーシス入りのクッキーを俺に食べさせたんじゃないかって」
「前提がおかしすぎるな。あの日、あの状況でおまえを狙って食べさせるなんて芸当、狙ってできたと思うか?」

 ミリアムが調理部で作ったという大量のクッキーに紛れ込んでいた、薬入りのクッキー。それをリィンが食べるという確証はなく、もしかしたら誰も食べなかった可能性も高い。

「そうだな。あの時点では狙いは俺限定じゃなかったんだろう。Ⅶ組の誰かが食べていれば、きっとこの手紙の差出人は満足していたんじゃないか? 俺以外が食べていたら、きっとその人物宛にこの手紙が来ていたのかもしれない」
「曖昧すぎるだろうが、それこそ愉快犯だろ。……それを何故俺と結びつける必要があるんだよ」

 目を細めて、冗談めかして口にする。

「一つは、実際にクロスベルまで来てくれたこと。面倒見がいいにもほどがあるよな、クロウ?」

 視線に、リィンには似合わない自嘲めいた笑みが混じる。
 この子供はおそらく、学院のみんなが思っているよりずっと傲慢で自尊心が高い。助けられる、守られる側にあることをよしとはしないのだろう。

「それと、クロウがミリアムと一緒にⅦ組に編入してきたから、かな」
「それは説明しただろうが、単位が足りねえんだよ」
「足りなければ1年の平民クラスでもいいだろ? いくらARCUS試験運用の経験があるからと言ってうちにくる必要はない――ミリアムをⅦ組に入れるバーターとしてなら、ともかく」
「どういう意味だ?」
「Ⅶ組の運用には、理事会の意向が強く反映されてるんだろ? なら、情報局の《鉄血の子供たち》を受け入れさせたければ、何らかの見返りを貴族派にも与えられているんじゃないか?」
「俺は平民クラスなんだが。何故貴族派扱いされてるんだ? 改革派のミリアムを見張るためならそれこそアルバレアの坊ちゃんでもアルゼイドのラウラ嬢でもいいだろうが」
「アルゼイド子爵は立場的には中立だし、ユーシスが大人しくアルバレアの指示に従うと思ってるのか?」

 口元に笑みを刷いて、リィンが目を細める。

「そうならないことを知っているから、おまえはユーシスを連れてきたんだろ。『貴族派に紐つけられている意趣返し』も兼ねて」

 リィンの言わんとすることの意味を、一瞬捉え損ねてクロウは眉を寄せた。

「ARCUS試験運用におまえが選ばれたのも、Ⅶ組への編入をねじ込んだのも、それだけの権力を持っている『誰か』がおまえの後見をしているからじゃないのか? それだけのことをやれる存在はこの国にも多くはいないだろ」
「オレ様が優秀だからとは思わねえの?」
「優秀な人間が、単位不足するか? まぁ……わざとなんだろうが」

 はぁ、とリィンが嘆息する。

「とにかく、その『誰か』がミリアムを入れるならおまえもⅦ組に入れるよう理事会に提示して、それをおまえは好機だと考えた」

 まっすぐに据えられた眸が、わずかに揺らぐ。

「旧校舎を探ることと――『俺』を観察して監視するための」
「まったく、後輩を心配する先輩の好意を、監視ととらえるとはなぁ」
「茶化すな、最後まで聞いてくれクロウ。このゴンドラの窓は嵌め殺しだし、空中の密室だ。いくらおまえでも逃げられないだろ」

 睨み付けて、リィンはクロウの手首を掴んだ。けれど眼差しはどこか弱く、声がかすかに震えている。

「帝国解放戦線リーダー《C》――クロウ・アームブラスト」



「……はあ?」

 間の抜けた反応は、ほとんど素だった。言い当てられた事実よりも、いきなりなにを言い出すのかという衝撃の方が大きい。

「おいおい、ストーカー呼ばわりの次は証拠もなしにテロリスト呼ばわりかよ。温厚な俺でも流石に傷つくぜ」

 芝居じみた仕草で肩を竦めて、目を眇めてみせる。それを見遣り、リィンは苦笑する。

「後見は受けていても、おそらく従属はしていない。貴族派の『誰か』とおまえは契約めいた関係なんだろうと思う。利用し合っているけれど信頼はしていないから、『誰か』そのものか、その部下だか側近だかはまるでおまえの意思を確かめるようにちょっかいを出してきているんだろ。このあいだのクッキーとか、この手紙だとかみたいな。あのクッキーだって、それを入れた『誰か』が食べさせたかった本命はおまえなんじゃないかって気がする」
「俺に薬飲ませてなにさせたいんだ? おまえの考えてる『誰か』さんとやらは」
「さぁ? ただ、その『誰か』は、常におまえを牽制して手元に置いて利用し続けたいんじゃないかな」
「へぇ、そんなふざけた真似されたら、普通はそれだけで関係切るんじゃね? テロリストだって」
「テロ活動を続けるのにも、ミラと技術と情報が必要だろ。ガレリア要塞の導力ネットをハッキングとか、それこそどれだけのミラが必要なんだろうな」
「なら、金を与え続けていればわざわざ嫌がらせして試す必要なんかないんじゃねえの?」
「『誰か』はそれだけ疑り深いんだろ、それか『誰か』自身はそうでもなくてもその部下が『誰か』のお気に入りに対して嫉妬していやがらせしてるとか」

 ずいぶんと曖昧な理由だとクロウは思う。
 そう、思わせるようにリィンが言葉を選んでいるのだろう。

「それこそ、大貴族様は奴隷なんぞおもちゃだとしか思ってねえだけなんじゃねえの?」

 リィンがぼかそうとしたそれを口にしてやれば、紫銀の双眸に痛みに似た色が浮かぶ。ずいぶんとお優しいことだとクロウは内心で笑う。
 クロウから見てもくだらないとしかいいようのないそれに巻き込まれた被害者だというのに。


「つまりお前は、貴族派がテロリストを支援していて、そのテロリストに対して貴族派が低俗な嫌がらせをしてるって考えてるわけだ」
「ケルディックで領邦軍に俺たちを捕まえさせようとするくらいには、仲がいいんだろ? テロリストと貴族派は」

 掴まれていた手首に、わずかに痛みが走った。まるで確かめるように、引き止めるように掴む力が強くなる。

「証拠は?」
「ない。最初に言っただろう? これは俺の推論でしかないって。でも《C》が現れた時にはおまえもいたし、おまえがいなかったレグラムには《C》は現れなかった」
「それこそ他にもその条件にあてはまる奴は、いくらでもいるだろうがよ」

 それこそ夏至祭のときに帝都にいて、レグラムにもいった人間はリィンたちⅦ組A班くらいなものだろう。テロリストだって目的もなく士官学院生を追っかけまわしているわけでもない。たまたま班分けで別れたからと言って事実はともかくテロリスト扱いは勘弁してほしい。

「それに、おまえはエリゼを人質にして、でもエリゼも俺も殺さなかった」
「ただのタイミングの差じゃねの? 一つ間違えてたら殺されてたかもしれねえぞ」

 おまえも妹も。
 そう告げれば、リィンは目を伏せた。

「おまえが殺そうと思えば、いつだって――今だって俺を殺すことなんか簡単にできるだろ。でもおまえは、俺が呼んだからっていってトリスタから飛んで駆けつけてきた。強請ればデートにだって付き合ってくれるしな」

 瞑目して、どこか満足げに楽しそうに、呟く。
 その意味が、わからない。

「――もし俺がテロリストのリーダーなら、おまえはどうするんだよ。大人しく殺されるのか? それとも捕まえて縛って鉄道憲兵隊にでも突き出す?」
「大人しく捕まるつもりもないだろ」

 そういって笑う。現状、捕まっていると言えなくもない状況だというのに。
 この子供の言動が、心底理解できない。まだフラッシュバックを起こした影響でも尾を引いているのだろうかと心配になる。

「俺じゃあクロウには敵わない。帝都で思い知らされたからな」
「なら、どうするんだよ」
「どうもしない。――どうしようもない、打つ手がないっていうほうが正確だ」

 浮かべた笑顔は、どこまでも自然だ。
 諦念、だろうかと考えてクロウは自分の考えを否定する。確かに、結果をクロウへと委ねてはいても。この子供は何一つ諦めはしない気がする。

「ああでも、アルフィン皇女とエリゼを人質にしたりトワ会長がクロスベルにいるのにクロスベルへ向けて列車砲撃とうとしたりクロスベルにテロリストを送ったことはちょっと怒ってるんだった。あとで三発殴らせろ、クロウ」

 普段通りの課題をこなすような声音と態度で、そう言う。

「……おまえ、本当に何がしたいんだ?」

 人の仮面の下を想像して、暴いて。
 この子供の本分からはほど遠い行動にも思えるけれど。

「そうだな、まずは駒扱いしていいようにしてくれた『誰か』に対する意趣返し、かな」

 やられっぱなしは性に合わないのか。双眸に剣呑な光が浮かぶ。

「まずはってことは他にもあんのかよ」

 苦笑してしまう。たしかにこの子供は自己評価の通り、ずいぶんと欲深いらしい。

「ああ、俺の五歳以前の過去の真実を知りたい。……なぁクロウ、『レン』が浚われたのも五歳だったんだよな?」

 不可抗力とはいえ、他者の記憶を覗いてしまった罪悪感にわずかに眉を顰めて。

「そうなんじゃねえの?」
「……もしかしたら俺も、『楽園』にいたのかもな。覚えてないけど」

 どうしてそこに繋がるのか、と苦笑する。けれどD∴G教団被害者の多くはだいたいそれくらいの年齢の子供だ。

「忘れたまんまでいいだろ」

 リィンに捕らわれたままの左手ではなくあいている右手で、わしゃりと黒髪を撫でてやる。

「それと」
「まだあるのか? この際だから言ってみろって、全部」

 けれど、それまで立て板に水をかけるようにすらすらと答えていたリィンが、言葉を噤んだ。
 視線を逸らして、一呼吸。それだけ意を決しなければ口にし辛いことらしい。――テロリストのリーダーだろうと指摘するよりも、言い出しにくいこと。想像もつかなくて、
 ゴンドラは頂上を過ぎて、あと半周程度。

「クロウ」

 名を呼ばれ。掴んでいた手首を意外に強い力で引き寄せられる。
 掌を上に向けさせられて、そこに押し当てられた唇。そういえば、あの日もやけに手に執着していたことを思い出す。
伏せられた長い睫毛が震える。
 恭しく口づけていたかと思えば、唇をずらして手首に柔らかな熱が触れた。

「……おまえ、なぁ」

 血管に近い薄い皮膚を舐めあげられて感じた怖気を、表に出さないように必死で堪える。
 ――そういう意味だと、思ってしまってもいいんだろうか、と。この子供にその意味を告げたのは、ほかならぬクロウ自身だ。
 呆然と、手首を食んでいるリィンを見下ろす。
 以前は髪の色すら変わるほどに普段とは違い、明らかに薬の影響だろうと思っていたけれど。黒髪から覗く耳の赤さは、窓から差し込む夕陽だけのせいではないのだろう。
 衝動ではなく、本人の意思で懇願されて、どうすればいいのかまったくわからなくなる。
 そもそも、リィンはかなり乱雑な推論とはいえクロウの正体に気付いている。それを告げるためにミシュラムの観覧車にまで誘い込んだと言っていたことは覚えている。
 それと、今リィンにされている行為の意味があまりにかけ離れていて結びつかなくて、柄にもなく混乱した思考のなか、どうするべきかを考える。
 凍りついたように反応を返さないクロウの焦れたのか、リィンが掴んだままの手首を引いた。思いがけない強さで引かれて、クロウはリィンに伸し掛かるように倒れこむ。体重でこの子供を押しつぶしてしまわないように咄嗟に反対側の手で椅子の背に手をついて体をささえた。

「……っ痛」

 刹那、首筋に走った痛みに、思わず呻く。
 キスというにはあまりに攻撃的だろう。

「おまえは吸血鬼かなにかか?」

 くつくつと喉奥で笑って、体重をかけないようにリィンの肩を抱く。
 むしろ子犬が甘えて甘噛みしている様、だろうか。

「後悔してもしらねえぞ」
「後悔なんか」

 首筋に顔を埋めたままなせいで、くぐもった声が応える。

「するに決まってるだろ」
「――そこは後悔なんかしないって言うべきじゃね?」

 演技でも嘘でも、それが社交辞令というものではないだろうかと。思わず茶々を入れれば、リィンはひどく小さな声で呟く。

「むしろもう後悔してる、クロウが」
「……はぁ?」

 どこをどうすればそういう結論になるのか。この子供の思考回路は意味がわからなさすぎる。まだオズボーンの方が何を考えているかわかりやすいんじゃないだろうか。
 

「俺はクロウが好きなナイスバディの女の子じゃないし、やわらかくもないし従順でもないしかわいくもない。後悔しないはずがない。おまえは自分が後悔してるから、俺にそう聞くんだろ馬鹿」
「ばぁか。俺のピアスやるような相手、男だとか女だとか関係なくおまえくらいしかいねえよ」

 そもそも。あんな伝言で呼びつけられてほいほいクロスベルくんだりまで来る時点で悟るものじゃないだろうか。
 クロウ・アームブラストと帝国解放戦線を結びつける推測をしてみせた一方で、人から向けられる好意というものにはとことん疎いのだろうか。

「おまえのいうことなんか、信じられない」
「ずいぶんな言いぐさだな、オイ」

 けれど実際、言葉はクロウにとっては人を煽るための道具にすぎない。

「なら――行動で示していいんだな?」

 応えを聞いてやるつもりもなかった。


「……クロウ?」

 観覧車から降りて。ミシュラムに来た時とは逆に、先を歩くクロウがリィンの手首を掴んで引きずるように歩く。正門から出ればアーケードだ。
 その二階に上って、クロウが支配人らしき紳士に何か告げる。

「予約してたのか?」
「まさか。そもそもクロスベルに来たのもミシュラムに来たのも行き掛り上だし、そもそも日帰りの予定だっただろ」

 苦笑するクロウに、支配人が一礼し鍵を手渡した。受け取ったその部屋へと、慣れたようすでクロウが歩く。

「じゃあなんで急に来て部屋借りれるんだよ? ミシュラムのリゾートホテルって人気高くてそう簡単には泊まれないんじゃなかったっけ?」
「そこはまぁ、オレ様の仁徳ってやつがだな」
「……」

 いつものように軽い口調で流すクロウを、じっとりと半眼で睨みあげる。

「リィンくんはクロスベルが誇るホテル・デルフィニアじゃご不満か? しかしおまえが外でやる方が好きだとしても俺にはそういう趣味ねぇし」
「……ないから。人を異常性癖みたいに言うな」

 通された部屋は広いリビングも用意された上質なスイートルーム。窓からはMWLが一望できる。

「もうすぐ花火上がる時間じゃねえか?」
「そうなのか?」

 特務支援課を出るときにティオから聞いた情報にはそれはなかった気がする。おそらくリィンたちが日帰り予定していたから告げなかったのだろう。
 一瞬そんな思考に沈んだリィンを、クロウは荷物でも扱うように容易くベッドへと転がした。

「……見てるような余裕、多分ないだろうがな」

 くつくつと笑って、クロウが身を乗り上げる。



「なんていうか」
「ん?」
「クロウって、結構ロマンチストだよな……」
「雰囲気っていうもんは作ったほうが都合がいいだろ」

 くつりと笑って、手首を掴まれる。
 観覧車のゴンドラの中で自分がしたように。手を取られてクロウの唇が掌に触れた。

「懇願、してくれるのか?」
「しろって見下してくれたのは誰だよ」
「あれは……忘れた」

 自分だけが欲しがって泣く子供みたいな扱いに腹が立っただけ。そんな理由がますます子供じみていて、我ながら自己嫌悪の連鎖が止まらない。
 後悔されてもいい。それでも。
 掴まれていないほうの手で、クロウの胸ぐらを掴んで引き寄せる。

「おまえが悪いんだからな、クロウ」

 告げればまた、子供や子犬を許すみたいな、しょうがないなみたいなそんな表情を浮かべられて。それがうれしいというより、少し悔しい。
そのまま、唇に噛みついた。



「……っん、ぅ」

 噛みつけば、柔らかく手加減して甘噛みを返される。こっちは必死でクロウの服に爪を立ててるのに。
 粘膜に軽く歯を立てて、舐められる。
 びくりと背が跳ねたことは、クロウには容易く伝わっただろう。
 にやりと、緋色の双眸が笑う。
 容赦を含んだものではないそれに、ぞくりとした。恐怖ではない。怖いとは、不思議と思わなかった。
 むしろ、望むところだ。
 服を掴んでいた腕を伸ばして、クロウの長めの後ろ髪をひっつかんで抱き寄せる。もっと寄越せと強請って。されたように甘噛みを返して唇を舐めあげて。
 対等に、とまでを望むのは欲深すぎるだろう。それでもあきらめてなんかやらない。どこまでも足掻いて、追い付いてやる。
 ――教えてあげる。相手の気持ちを考えるの。
 脳裏を過った少女の声に、笑う。
 クロウの気持ちなんて、どれだけ考えたところでわかりようがないじゃないか。だってクロウなんだから。
 嘘つきで、強かで。そのくせ、どこか脆くて危うげで。
 簡単に想像がつくようなものなんて、面白くないだろう?

 舌を絡めあって、歯列を辿って口蓋を舐めあげる。気持ちいいか気持ち悪いかなんて思考は鎔けて落ちて。ついていくだけで必死だ。
 経験の差だろうかと思うと、心の底に何かが澱んで落ちていく。
 嫉妬だとか羨望だとか単純に名前を付けるにはずいぶんとどろどろとしたもの。

「んっ、クロ…ウ……っ」

 この男に対する執着だって、恋情だとか尊敬だとか、そんなきれいなものじゃないんだろう。

「キスの最中に考え事とか、余裕だな?」
「余裕なんかあるわけないだろ」

 告げる気もないけれど、キスだって、自分の意思で誰かとこういう意味で床を共にすること自体だって初めてだ。
むしろ。ある意味すごく遺憾だけれど、思考の大半はこの目の前の男のことが占めている。それまでの推理を引きずっているせいもあるのかもしれないけれど。

「それとも、何も考えられないくらい気持ちよくさせてくれるのか、クロウ?」

 くつりと笑って見上げる。互いの体液に濡れた自分の唇を、手の甲で乱雑に拭って。
 できるものならやってみろと安い挑発に、クロウも笑う。

「考えられなくしてほしいのか?」

 ひどく楽しげな声に、虎の尾を踏んだかと苦笑する。

「ならリィン、服脱いで見せろ。せいぜい色っぽくな」
「……は?」

 指示された内容が、耳を素通りする。

「俺に色気なんか求めるな」

 言外に馬鹿じゃないのかと睨み付ければ、クロウは余裕めいた笑みを浮かべて見下ろすだけだ。
 服を、脱ぐだけだ。考えてみれば脱がされるよりは自分で脱いだ方が恥は少ないかもしれない。
 けれど。
 ベッドに押さえつけられたまま、脱ごうとシャツのボタンへと伸ばした手が止まる。
 自分でもきれいだとは思えない体を見せるのはためらわれた。意を決して、ぎゅっと目を閉じてベルトのバックルへと手を伸ばす。
 諸事情で今日買ったばかりのそれを外すのに多少苦労したが、それでも複雑な構造でもない、外せてしまって息を吐く。
 そしてその時点で、見て楽しいものでもないのは上半身でも下半身でも変わらない事実にようやく思い至った。男の体などみても楽しいはずがないだろう。
 さてどうしよう。
 新品のスラックスのボタンまで外して、とりあえず、皺になるしとジャケットだけは脱ぎながら必死に考える。
 せいぜい色っぽく? 無理に決まってるじゃないか。ないものなど、どう足掻いたって絞り出せるものじゃない。
 脱いだジャケットをクロウの顔に投げつけて、視界を防いで。その隙に一気に下着ごとスラックスを脱ぎ捨てる。

「……おい、リィン?」
「見えないほうがまだおまえのお望みの色気、あるだろ?」

 視線さえなければ、見られていなければ。すこし余裕ができる。
 毎朝の鍛練も欠かしていないけれどあまり筋肉のつかない貧相な体をみせるより、衣擦れの音だけのほうがマシだろう。
ドレスシャツのボタンを外して、けれどクロウから見えていなくても脱ぎ捨てて全裸になる勇気はない。
そうして、クロウのシャツへと手を伸ばす。
 ぷつりぷつりとボタンを外していく手が震えているのが伝わらないことを願いながら、この男が気づかないはずがないこともわかっているけれど。
 自分の服を脱ぐのとは、左右の感覚が違って慣れない。前に一度、クロウの服を脱がせたときよりも指が縺れる。
 それでも自分の指を叱咤激励してなんとか全部外す。一息ついて、さあ次はベルトを外してと考えていたとき。上から耐えかねたような笑いが聞こえた。

「……」
「はー、おまえやっぱりおもしろいわ」

 いつのまに、投げつけたジャケットを外していたのか。赤いそれは、無残な姿で床に転がっている。今朝買ったばかりだというのに。

「クロウ……」
「おう」
「どこから、見てた……?」
「おまえがおまえのシャツのボタンはずしたあたり?」

 楽しげに笑って答える。ということは結構ずっと見られていたのだろう。自分のことに必死で、視線に気づかなかった事実に愕然とする。
 そして自分の恰好に思い至って顔が熱くなった。なんとか隠す方法はないかと視線を巡らせる。

「結構あるんじゃねえの?」
「なにがだ!?」

 涙目できっと睨み付ければ、色気と一言返された。

「……クロウ、おまえ頭だけじゃなく目も悪かったのか」
「あいにく目だけはいいんだけどな」
「じゃあ頭か、しかも致命的に悪くなってるんじゃないか? 俺に色気感じるとか絶対おかしいだろ」

 値踏みされる感覚に、身を竦める。
 確かに、身を鎧う服がなければ考え事をする余裕なんてなくなるけれど。消え行ってしまいたいほどの羞恥はいかんともしがたい。

「ずいぶんな言いぐさだな?」

 するり、と肌を直に撫で上げられて、唇を噛む。そうでもしないと変な声でもあげてしまいそうで。

「噛むなら俺にしとけって。それか素直に声を上げるかの二択だな」
「っ……」

 どんな選択肢だよ、と思いながら、クロウの腕を掴んで指に思いきり噛みついてやる。噛み切ってやればこいつは《C》としての行動ができなくなるんじゃないだろうか。どうせなら利き手の左手にすればよかったかもしれないなんて剣呑な考えが過る。

「食い千切るのは今なら勘弁してくれ。かわいい妹御がテロリストにまた浚われないように、な?」

 口の中を撫でられる。
 やる気もないくせに。
 軍人以外を殺すことはもちろん、巻き込むこともしたくないのだろう。変な部分で甘いのは、クロウも《C》も変わらないと思う。
 あと、打たれ弱さ。
 馬鹿なんじゃないだろうか、この男は、と。何度目になるか数えてもいないことを思う。
 何故、テロリストが脅しつけておいてテロリスト側が精神的につらそうな顔とかしているのかと。
 嘆息して、噛んだ指に舌を這わせる。思いきり力を込めて噛んだせいで、かすかに血の味がした。
pixiv [2013年12月22日]
© 2013 水瀬
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開設:2014/02/13
移転:2017/06/17
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