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5
「まさかそのままの意味だとはな」
目を眇めて、二歳年長の男を見遣る。
「使える『有効な力』があるのに使わねえのはただの怠慢だ」
そういって、ここに連れてきた男は口元を歪める。笑みというには凶悪なそれは、けれど裏を返せば焦燥の証にも思える。
「――何があった?」
「あの馬鹿がガキをかばって倒れた」
「それで貴様が迎えに行くのか? クロウ・アームブラスト」
リィンとマキアスが正体不明の手紙で呼び出されてから、リィンからの連絡を受けていたのはユーシスだ。マキアスならば、確かに自分へ連絡を寄越しはしないだろうとも思う。当初ほどの確執はリィンやⅦ組の働きかけでましにはなったものの、それでもマキアスがユーシスに『弱み』を見せたり直接助けを求めることは想像がつかない。
「迎えっつうか、なんだろうな」
どこか自嘲じみた色が緋の双眸に一瞬走った。
「仲間を助けに行くのか」
「強いて言えばそういうことだ」
「わかった」
答えて、ストールを手に取る。
「外出届は出したんだろうな?」
「んなもん出してる余裕はねえな、後でなんとかするしか」
「……了解した」
それだけ、事態は悪いということなのだろう。
本来ならばそれは自分の持っている力ではない。けれどこの男のいうように、借り物の力でも、友を助けるためにも使わなければ何のための力と責任だというのか。
「違う、そっちじゃない」
トリスタ駅に着いて、クロスベル行の切符を買おうとしたら止められた。視線だけ向ければ、クロウは帝都までの切符を二枚買って渡してくる。
「クロスベルには行かないのか」
「時間が惜しい」
「……なるほど、俺を連れて行くわけだ」
「言っただろうが、ツラ貸せって。ついでにアルバレアの名前の持つ力もな」
「それほどの効力はないと思うが」
「それでもないよりはましだ」
列車で帝都へ移動して、導力トラムで向かった先はヘイムダル空港だった。飛行船ならば確かに鉄道で向かうよりは早いが、席がとれない可能性もある。階級社会の帝国において、平民であればなおのこと。
あとで父に怒られるだろうと自嘲しながら、ユーシスはアルバレアの名を使って強引にクロスベル行の飛行船のチケットを手に入れた。
「ずいぶん早かったですね……なんで連れてきたのが、よりにもよってこの男なんですか」
クロスベル警察特務支援課ビルの前。
眉根を寄せて、眼鏡を押さえるマキアスに、クロウは口端を吊り上げた。
「うーん、嫌がらせ?」
「――っ、あなたという人は」
吐き出した溜息は深い。
理由なんて、それほど重要なわけじゃない。ただ今切れるカードの中で一番使える札を切っただけだ。
この少年の貴族嫌いの根底こそ知らないが、呼びつけられてクロスベルまで来るのにアルバレアの家名を利用したと本当のことを告げるよりは、ただの意趣返しだと取らせる方がまだ幾分かましだろう。
「ユーシス坊ちゃんとアルカンシェル観劇楽しんで来い」
付け足した言葉に、マキアスのこめかみに青筋が浮かんだ。
素直でわかりやすい反応に笑みを深くする。官僚の息子がこれだけ腹芸と無縁で大丈夫なのだろうかという心配すらしてしまうほどに。
「楽しめるはずがないだろう!」
「珍しく意見があったな」
余裕めいた笑みを浮かべた貴族が乗れば、眉間のしわが深くなった。
「で。本題だがリィンは?」
話を振れば、マキアスはドアを開いた。応接セットのソファの上、毛布に包まって眠る姿が目に入る。
そのリィンを守るように狼のような大きな犬と柔らかな緑の髪の少女が座っていた。
金色の眸が、まっすぐにクロウを見る。
すべてを見透かすような眼差しを苦手だと感じるのは、自分の後ろ暗さを自覚しているからだろうか。
「悪いが、みんな席を外してくれ」
「……いいだろう」
最初に答えたのはユーシスだった。
薄氷の双眸に、どこか試すような光を浮かべてクロウを見て肯定する。マキアスはそんなユーシスを睨み付けていた。
「えっと、じゃあマキアスとユーシスはキーアのお勉強みてくれる? 宿題でわからないところがあって」
「……キーアの頼みならば仕方がないな、なぜこの男と連名かは理解できないが」
クロウの意図を汲んだように、少女が口を開く。クロウの目から見れば不自然なほどにマキアスはキーアの言葉に従った。
「……末恐ろしいな」
知らず呟いた言葉に、キーアが緑の髪を揺らして振り返る。
「ごめんなさい」
「別におまえが謝ることじゃねえだろ」
嘆息して、くしゃりと自分の髪をかき上げる。
「むしろ手伝ってくれるなら好都合だ」
キーアが何かを言おうとして、そのまま言葉を飲み込むように口を閉じる。そんなキーアを守るようにツァイトが一声鳴いて。三人と一頭は階段を上って行った。
一階に残されたのはクロウと、いまだ眠り続けているリィンだけになる。
一応満を持して、出入り口に内側から鍵をかけた。
「……さて、と」
リィンが眠るソファへと、足音を忍ばせて近づく。
顔色は蒼白で呼吸は浅い。
まだ少し湿っている髪を梳き撫でてやり、そっと額に触れる。熱はない。
「起きろよ、俺以外誰もいないから安心しろ」
囁いて、額から頬へと手を滑らせる。指の腹で唇を撫でてやれば、伏せられていた睫毛が揺れた。
ゆっくりと、瞼が開かれる。覗いたのは普段の藤色ではなく、焔を思わせる赤。黒髪はまるで色素が空気に溶けるように、毛先から白銀へと色を変えていく。
「まぁ、あの場でその姿をおおっぴらに見せるわけにはいかねえだろうしな」
身を起こしたリィンの腕が、するりとクロウの腰に絡みつく。甘えるように頭を胸元に摺り寄ってくる様は小動物めいている。
「『クロス』の嘘つき、大丈夫って言ったくせに」
「はいはい、俺じゃないが俺が悪かった」
あの時、リィンからあふれた記憶をなぞって、咄嗟に『彼』の振りをしてリィンにかかっていた負荷を取り除いた。子供だましの初歩の暗示のようなものだ。
クロウはクロチルダと違って精神系の術が使えるわけでもない。応急処置でしかないが、それしかクロウがとれる手段はなく、帝国内にいるならば『クロス』のふりをしたクロウの暗示だけでも十分だったはずだ。
現にあの日の翌朝には、リィンは普段通りクロウをクロウだと認識していた。そのまま薬の効果が薄れていればそのまま忘れていただろう。
それを、わざわざ因果の地にまで呼び寄せられ、それもまるで狙ったかのように赤毛の幼い少年が絡んできたせいでフラッシュバックを起こし、中途半端な状態だった『クロス』の暗示が作用したせいで昏睡状態に陥った。
推定でしかないし医者でもないから断定はできないが。現にクロウが『クロス』として声をかけただけでリィンは目を覚ました事実は、仮定の正確さを示しているともいえるだろう。
『クロス』を利用した時点で、クロウに責任の一端がないわけでもない。けれど大元は手の込んだ方法でリィンにグノーシスを飲ませ、クロスベルまでおびき出した何者か、だ。トールズ士官学院の調理室を爆発させたのも、その何者かの差し金なのかもしれない。
リィンの白銀の髪を撫でてやりながら自嘲的に笑う。
眼鏡の少年がARCUSに通信をかけてきたとき、彼が半年以上の付き合いの彼自身ではなくクロウを呼んだことに対して苛立っていたが、呼ばれた当のクロウだってクロウ自身を求められたわけではない。最初に利用したのは自分だとはいえ、『クロス』の身代わりだ。マキアスに教えてやるつもりも義理もないが。
クロスとよばれていた子供は、けれどこの世界のどこにも存在しないというのに。嫉妬ともつかない思いが澱む。
「まったく、どうするべきかね」
目は覚ましたものの、この状態のリィンを人前に連れ出すのも拙いだろう。特務支援課の連中相手は特に。漏れ伝った記憶によれば、彼らはヨアヒムの本来の姿を見た生き証人だ。彼らがリィンの変化を見てなにを感じるか、どう考えるか。被験者として病院に強制的に収用されるだけならまだいいが、最悪D∴G教団との関係を疑われて逮捕される可能性だって捨てきれない。
何とかしなければと必死に考える。
マキアスからクロスベルでの行動を詳しく聞きだしておくべきだったかと少し後悔するけれど、今更言ってもあとの祭りだ。
おそらくは、クロスベルを早く離れることが一番いいのだろうと思う。
クロスベルの地理は地下のジオフロント地区に至るまで脳裏に叩き込んでいるけれど、資料を見るだけと実際にこうして来て肌で感じるのとではまったく違う。
この街はどこかおかしい。七曜脈が、おかしな具合に捻じれている。通常には存在しない上位三属性の気配も変に強い。帝国も大概おかしいがそれ以上に、だ。
『巨イナル力』の欠片に隷属する身にとって上位属性の力は、刺激でしかない。まだ資格も得ていない候補ならばなおのこと。ジュライが怪物に飲み込まれて、士官学院へ潜入する前。まだ試練を受ける前の自分の置かれていた状況を思い出して、クロウはその苦さに目を眇め額を押さえた。
まったく、ろくな思い出がない。
否、逆か。
士官学院での思い出があまりに温かくて鮮やかすぎて、身に馴染まないのだ。自分などが受けていいぬくもりではないのだと自戒する。
縋りついてくる、この子供もいつか切り捨てるべき存在だと自分に言い聞かせる。そうしなければ、忘れてしまいそうだった。
「おいおい……何でついてくるんだよおまえは」
言葉だけの暗示よりも強めの応急処置をするべきかと、材料を求めて特務支援課のキッチンへと移動すれば、リィンは服の裾を掴んでくっついてきた。足元がふらついていて見ていて危なっかしくてしょうがない。
だからソファに座って待っていろといったのに。キッチンにそれほど長居する予定はない。目的のモノを手に入れればあとはソファに戻るつもりだったのに。
調理台の上に、目的の瓶を見つけて口端を吊り上げる。そのビンの中身を手近にあった皿二枚に注いで、クロウはキッチンの床にぺたんと座った。
「ふらふらすんな」
座った膝の上に、リィンを背中から抱え込むように座らせる。そうしていれば大人しいものだ。
準備を終えて、クロウは自分の耳へと手をやった。右耳に着けていた蒼耀石のピアスを外して皿の中の百薬精酒へ浸す。気休め程度だが多少の殺菌効果はあるだろう。ついでにピアッシングにちょうどよさそうな針も消毒目的で放り込む。
そうしてもう一つの皿に入れた百薬精酒に指をつけて濡らし、リィンの右の耳朶に触れる。その冷たさに驚いたのか、抱き込んだ体がびくりと撥ねた。
その様が愛おしくて、くつくつと笑いを漏らす。
「大して怖いことはしねえよ。ほんの少し痛いくらいだ」
「『クロス』?」
痛い、という言葉に反応したのか、リィンが不安げにクロウを振り返った。赤い眸が痛いのは嫌だと揺れるのをまっすぐに見つめ返して、白銀の髪を撫でてやる。
「俺は『クロス』じゃねえ、クロウ・アームブラスト、な」
先にクロスの振りをしたのはクロウだけれど、その事実を棚の上に投げ上げて告げる。
「クロウ……?」
確かめるように名を呼ばれて、クロウは唇に笑みを浮かべた。
「上手くできたいい子には、ご褒美をやらなきゃ、な」
膝抱きに抱き込んで、ついでに口を右手で塞ぐ。左手で酒に浸したニードルを手に取ってリィンの右の耳にその先端を押し当てた。
「……っ、ん」
悲鳴は、掌の中で抑え込む。薄くすべらかな皮膚に針がゆっくりと刺さっていく様に、知らず喉がなった。
自分の本分を考えれば、これは悪手でしかない。『クロス』を騙った以上に、元々フェイクでしかないトールズ士官学院の生徒であるクロウ・アームブラストの存在を刻みつけて、その証まで残すなど。
それでも。
本当ならば触れることもかなわなかったはずの存在に、偽りの時間の中だけでも自分のものだとしるしをつける行為に、満足感と頭が鎔けそうなほどの興奮を覚えている。何も知らない子供を穢して刻み付ける背徳感に眩暈がしそうだ。このまま喰ってしまいたい欲を、苦労して飲み下す。
針を抜いて、開けた穴にピアスをつけてやる。緊張していたからだから、くたりと力が抜けた。
ふわりと揺れた髪が、黒く染まっていく。
「……」
「リィン?」
口を押えていた手を離して、耳元で名前を呼んだ瞬間。
リィンはすさまじい速さでクロウの膝から立ち上がって距離を取った。どうやら『応急処置』はうまく機能しているらしい。
「えーっと、あの、クロウすまない。迷惑……かけた。よな?」
「迷惑っていうか、どこまで覚えて……いや、いい、聞かないほうがいいよな?」
第三寮で薬の影響を受けていたときは、翌朝にはすべてを忘れていたようだったが、今のリィンの様子を見ればあの晩のことも、先ほどまでのこともすべて覚えているのだろう。
黒髪から覗く耳まで真っ赤に染まっている。
「まぁおまえのせいってわけでもないし気にすんなって」
何か気休めを口にすればするほど、リィンが深い何かにずんずんと沈み込んでいくのが目に見えるようで。憐れを感じながらも少し面白いとも思ってしまう。
「まぁ戻ったんならなによりだ。せっかくユーシス坊ちゃん連れてきたけどおまえが見に行くか? アルカンシェル」
「……すまないクロウ、話が見えない」
「おまえが倒れたから、せっかくのチケット余らせるのももったいないっって言ってピンチヒッター連れてきたわけだ」
「そっか。じゃあせっかく来てくれたんだしユーシスに見てもらおう。芸術にも造詣深いだろうし」
「……欲のないことで」
心配と迷惑をかけたせめてもの罪滅ぼしのつもりなのだろう。
「むしろ俺は自分で相当欲深いと思ってるけど」
「……どこがだ?」
過剰すぎる自己犠牲で滅私奉公そのものに思えるくらいだというのに、どこのあたりが欲深いというのか。
「せっかくクロスベルに来たなら楽しんでほしいって思うのは俺の我儘で欲だろ。ついでに傲慢で独りよがりだって自覚もある」
「もっとこう、欲っていうのはなんか違うもんじゃねえのか?」
健全すぎる方向に壊れている後輩は、ずいぶんと健全な欲求に従って生きているらしい。それともグノーシスの副作用だろうか。
クレスタに戻ったら、本格的にベアトリクス教官に見せた方がいいかもしれないと嘆息する。
「それにしてもほしいとは言ったけどなんで右なんだよ」
耳に着けてやった蒼耀の石に、リィンは目を細める。
「おまえの体の七曜の力の流れを調節するのに右耳がちょうどよかったんだよ」
「そういうものなのか? てっきり痛みで正気付かせたかったのかと」
「そんなに痛かったか?」
まだ傷が塞がっていない右耳をそっと撫でてやる。
「あとで軟膏ぬっとけ」
「わかった」
「あと、それ他の奴に見られるなよ? 特にあれだ、文芸部部長」
「……なんとなく意味は分かった気がする」
はぁ、と息を吐いて、リィンはキッチンのドアを見た。
クロウも立ち上がる。
「皿は流しにだしとけばいいか。メガネと貴族の坊ちゃんが心配してるだろうから顔見せてやれよ」
「うん、アルカンシェル楽しんで来いって言わなきゃいけないしな――なぁ、クロウ」
「ん?」
クロウが言えば嫌がらせとしか聞こえないだろうセリフを、リィンが言えば心からそう思っていそうに聞こえるのはきっと仁徳の差なのだろう。
そんなことを考えていたクロウは、続いたリィンの誘いに眉を顰めた。
「ユーシスたちがアルカンシェル見てる間、ミシュラムに行ってみないか?」
「……おまえまだ薬が効いてるのか?」
「もう大丈夫だ」
「なんだよ、お兄さんとデートしたいのか?」
茶化して、冗談だと言わせておしまいにしてしまおう。そんなクロウの意図は、リィンにも伝わっているだろう。
普段ならばからかえばそれでおしまいにできる。
けれど。
「駄目、か?」
「いや駄目っていうわけじゃなくな、男二人でテーマパーク行ってもしょうがないだろうが」
「駄目ってわけじゃないならいいだろ」
珍しく、押しが強い。やっぱりどこか壊れてしまっているのではないか――壊してしまったんじゃないかと心配になる。
「……クロウに迷惑かけたし助けてもらったから、お礼がしたいんだ」
「いらんいらん。見返り求めてやったわけじゃないしな」
「それじゃ俺の気がすまないんだ。協力してくれクロウ」
どこまでも真面目でまっすぐな懇願に、根負けしてしまう。
「お礼ならカジノに付き合ってくれればそれで」
「却下」
「……ったく、しょうがねえな」
断りきれなかったのは、理由をつけて消せない傷をつけてしまった罪滅ぼしかもしれない。
「まさかそのままの意味だとはな」
目を眇めて、二歳年長の男を見遣る。
「使える『有効な力』があるのに使わねえのはただの怠慢だ」
そういって、ここに連れてきた男は口元を歪める。笑みというには凶悪なそれは、けれど裏を返せば焦燥の証にも思える。
「――何があった?」
「あの馬鹿がガキをかばって倒れた」
「それで貴様が迎えに行くのか? クロウ・アームブラスト」
リィンとマキアスが正体不明の手紙で呼び出されてから、リィンからの連絡を受けていたのはユーシスだ。マキアスならば、確かに自分へ連絡を寄越しはしないだろうとも思う。当初ほどの確執はリィンやⅦ組の働きかけでましにはなったものの、それでもマキアスがユーシスに『弱み』を見せたり直接助けを求めることは想像がつかない。
「迎えっつうか、なんだろうな」
どこか自嘲じみた色が緋の双眸に一瞬走った。
「仲間を助けに行くのか」
「強いて言えばそういうことだ」
「わかった」
答えて、ストールを手に取る。
「外出届は出したんだろうな?」
「んなもん出してる余裕はねえな、後でなんとかするしか」
「……了解した」
それだけ、事態は悪いということなのだろう。
本来ならばそれは自分の持っている力ではない。けれどこの男のいうように、借り物の力でも、友を助けるためにも使わなければ何のための力と責任だというのか。
「違う、そっちじゃない」
トリスタ駅に着いて、クロスベル行の切符を買おうとしたら止められた。視線だけ向ければ、クロウは帝都までの切符を二枚買って渡してくる。
「クロスベルには行かないのか」
「時間が惜しい」
「……なるほど、俺を連れて行くわけだ」
「言っただろうが、ツラ貸せって。ついでにアルバレアの名前の持つ力もな」
「それほどの効力はないと思うが」
「それでもないよりはましだ」
列車で帝都へ移動して、導力トラムで向かった先はヘイムダル空港だった。飛行船ならば確かに鉄道で向かうよりは早いが、席がとれない可能性もある。階級社会の帝国において、平民であればなおのこと。
あとで父に怒られるだろうと自嘲しながら、ユーシスはアルバレアの名を使って強引にクロスベル行の飛行船のチケットを手に入れた。
「ずいぶん早かったですね……なんで連れてきたのが、よりにもよってこの男なんですか」
クロスベル警察特務支援課ビルの前。
眉根を寄せて、眼鏡を押さえるマキアスに、クロウは口端を吊り上げた。
「うーん、嫌がらせ?」
「――っ、あなたという人は」
吐き出した溜息は深い。
理由なんて、それほど重要なわけじゃない。ただ今切れるカードの中で一番使える札を切っただけだ。
この少年の貴族嫌いの根底こそ知らないが、呼びつけられてクロスベルまで来るのにアルバレアの家名を利用したと本当のことを告げるよりは、ただの意趣返しだと取らせる方がまだ幾分かましだろう。
「ユーシス坊ちゃんとアルカンシェル観劇楽しんで来い」
付け足した言葉に、マキアスのこめかみに青筋が浮かんだ。
素直でわかりやすい反応に笑みを深くする。官僚の息子がこれだけ腹芸と無縁で大丈夫なのだろうかという心配すらしてしまうほどに。
「楽しめるはずがないだろう!」
「珍しく意見があったな」
余裕めいた笑みを浮かべた貴族が乗れば、眉間のしわが深くなった。
「で。本題だがリィンは?」
話を振れば、マキアスはドアを開いた。応接セットのソファの上、毛布に包まって眠る姿が目に入る。
そのリィンを守るように狼のような大きな犬と柔らかな緑の髪の少女が座っていた。
金色の眸が、まっすぐにクロウを見る。
すべてを見透かすような眼差しを苦手だと感じるのは、自分の後ろ暗さを自覚しているからだろうか。
「悪いが、みんな席を外してくれ」
「……いいだろう」
最初に答えたのはユーシスだった。
薄氷の双眸に、どこか試すような光を浮かべてクロウを見て肯定する。マキアスはそんなユーシスを睨み付けていた。
「えっと、じゃあマキアスとユーシスはキーアのお勉強みてくれる? 宿題でわからないところがあって」
「……キーアの頼みならば仕方がないな、なぜこの男と連名かは理解できないが」
クロウの意図を汲んだように、少女が口を開く。クロウの目から見れば不自然なほどにマキアスはキーアの言葉に従った。
「……末恐ろしいな」
知らず呟いた言葉に、キーアが緑の髪を揺らして振り返る。
「ごめんなさい」
「別におまえが謝ることじゃねえだろ」
嘆息して、くしゃりと自分の髪をかき上げる。
「むしろ手伝ってくれるなら好都合だ」
キーアが何かを言おうとして、そのまま言葉を飲み込むように口を閉じる。そんなキーアを守るようにツァイトが一声鳴いて。三人と一頭は階段を上って行った。
一階に残されたのはクロウと、いまだ眠り続けているリィンだけになる。
一応満を持して、出入り口に内側から鍵をかけた。
「……さて、と」
リィンが眠るソファへと、足音を忍ばせて近づく。
顔色は蒼白で呼吸は浅い。
まだ少し湿っている髪を梳き撫でてやり、そっと額に触れる。熱はない。
「起きろよ、俺以外誰もいないから安心しろ」
囁いて、額から頬へと手を滑らせる。指の腹で唇を撫でてやれば、伏せられていた睫毛が揺れた。
ゆっくりと、瞼が開かれる。覗いたのは普段の藤色ではなく、焔を思わせる赤。黒髪はまるで色素が空気に溶けるように、毛先から白銀へと色を変えていく。
「まぁ、あの場でその姿をおおっぴらに見せるわけにはいかねえだろうしな」
身を起こしたリィンの腕が、するりとクロウの腰に絡みつく。甘えるように頭を胸元に摺り寄ってくる様は小動物めいている。
「『クロス』の嘘つき、大丈夫って言ったくせに」
「はいはい、俺じゃないが俺が悪かった」
あの時、リィンからあふれた記憶をなぞって、咄嗟に『彼』の振りをしてリィンにかかっていた負荷を取り除いた。子供だましの初歩の暗示のようなものだ。
クロウはクロチルダと違って精神系の術が使えるわけでもない。応急処置でしかないが、それしかクロウがとれる手段はなく、帝国内にいるならば『クロス』のふりをしたクロウの暗示だけでも十分だったはずだ。
現にあの日の翌朝には、リィンは普段通りクロウをクロウだと認識していた。そのまま薬の効果が薄れていればそのまま忘れていただろう。
それを、わざわざ因果の地にまで呼び寄せられ、それもまるで狙ったかのように赤毛の幼い少年が絡んできたせいでフラッシュバックを起こし、中途半端な状態だった『クロス』の暗示が作用したせいで昏睡状態に陥った。
推定でしかないし医者でもないから断定はできないが。現にクロウが『クロス』として声をかけただけでリィンは目を覚ました事実は、仮定の正確さを示しているともいえるだろう。
『クロス』を利用した時点で、クロウに責任の一端がないわけでもない。けれど大元は手の込んだ方法でリィンにグノーシスを飲ませ、クロスベルまでおびき出した何者か、だ。トールズ士官学院の調理室を爆発させたのも、その何者かの差し金なのかもしれない。
リィンの白銀の髪を撫でてやりながら自嘲的に笑う。
眼鏡の少年がARCUSに通信をかけてきたとき、彼が半年以上の付き合いの彼自身ではなくクロウを呼んだことに対して苛立っていたが、呼ばれた当のクロウだってクロウ自身を求められたわけではない。最初に利用したのは自分だとはいえ、『クロス』の身代わりだ。マキアスに教えてやるつもりも義理もないが。
クロスとよばれていた子供は、けれどこの世界のどこにも存在しないというのに。嫉妬ともつかない思いが澱む。
「まったく、どうするべきかね」
目は覚ましたものの、この状態のリィンを人前に連れ出すのも拙いだろう。特務支援課の連中相手は特に。漏れ伝った記憶によれば、彼らはヨアヒムの本来の姿を見た生き証人だ。彼らがリィンの変化を見てなにを感じるか、どう考えるか。被験者として病院に強制的に収用されるだけならまだいいが、最悪D∴G教団との関係を疑われて逮捕される可能性だって捨てきれない。
何とかしなければと必死に考える。
マキアスからクロスベルでの行動を詳しく聞きだしておくべきだったかと少し後悔するけれど、今更言ってもあとの祭りだ。
おそらくは、クロスベルを早く離れることが一番いいのだろうと思う。
クロスベルの地理は地下のジオフロント地区に至るまで脳裏に叩き込んでいるけれど、資料を見るだけと実際にこうして来て肌で感じるのとではまったく違う。
この街はどこかおかしい。七曜脈が、おかしな具合に捻じれている。通常には存在しない上位三属性の気配も変に強い。帝国も大概おかしいがそれ以上に、だ。
『巨イナル力』の欠片に隷属する身にとって上位属性の力は、刺激でしかない。まだ資格も得ていない候補ならばなおのこと。ジュライが怪物に飲み込まれて、士官学院へ潜入する前。まだ試練を受ける前の自分の置かれていた状況を思い出して、クロウはその苦さに目を眇め額を押さえた。
まったく、ろくな思い出がない。
否、逆か。
士官学院での思い出があまりに温かくて鮮やかすぎて、身に馴染まないのだ。自分などが受けていいぬくもりではないのだと自戒する。
縋りついてくる、この子供もいつか切り捨てるべき存在だと自分に言い聞かせる。そうしなければ、忘れてしまいそうだった。
「おいおい……何でついてくるんだよおまえは」
言葉だけの暗示よりも強めの応急処置をするべきかと、材料を求めて特務支援課のキッチンへと移動すれば、リィンは服の裾を掴んでくっついてきた。足元がふらついていて見ていて危なっかしくてしょうがない。
だからソファに座って待っていろといったのに。キッチンにそれほど長居する予定はない。目的のモノを手に入れればあとはソファに戻るつもりだったのに。
調理台の上に、目的の瓶を見つけて口端を吊り上げる。そのビンの中身を手近にあった皿二枚に注いで、クロウはキッチンの床にぺたんと座った。
「ふらふらすんな」
座った膝の上に、リィンを背中から抱え込むように座らせる。そうしていれば大人しいものだ。
準備を終えて、クロウは自分の耳へと手をやった。右耳に着けていた蒼耀石のピアスを外して皿の中の百薬精酒へ浸す。気休め程度だが多少の殺菌効果はあるだろう。ついでにピアッシングにちょうどよさそうな針も消毒目的で放り込む。
そうしてもう一つの皿に入れた百薬精酒に指をつけて濡らし、リィンの右の耳朶に触れる。その冷たさに驚いたのか、抱き込んだ体がびくりと撥ねた。
その様が愛おしくて、くつくつと笑いを漏らす。
「大して怖いことはしねえよ。ほんの少し痛いくらいだ」
「『クロス』?」
痛い、という言葉に反応したのか、リィンが不安げにクロウを振り返った。赤い眸が痛いのは嫌だと揺れるのをまっすぐに見つめ返して、白銀の髪を撫でてやる。
「俺は『クロス』じゃねえ、クロウ・アームブラスト、な」
先にクロスの振りをしたのはクロウだけれど、その事実を棚の上に投げ上げて告げる。
「クロウ……?」
確かめるように名を呼ばれて、クロウは唇に笑みを浮かべた。
「上手くできたいい子には、ご褒美をやらなきゃ、な」
膝抱きに抱き込んで、ついでに口を右手で塞ぐ。左手で酒に浸したニードルを手に取ってリィンの右の耳にその先端を押し当てた。
「……っ、ん」
悲鳴は、掌の中で抑え込む。薄くすべらかな皮膚に針がゆっくりと刺さっていく様に、知らず喉がなった。
自分の本分を考えれば、これは悪手でしかない。『クロス』を騙った以上に、元々フェイクでしかないトールズ士官学院の生徒であるクロウ・アームブラストの存在を刻みつけて、その証まで残すなど。
それでも。
本当ならば触れることもかなわなかったはずの存在に、偽りの時間の中だけでも自分のものだとしるしをつける行為に、満足感と頭が鎔けそうなほどの興奮を覚えている。何も知らない子供を穢して刻み付ける背徳感に眩暈がしそうだ。このまま喰ってしまいたい欲を、苦労して飲み下す。
針を抜いて、開けた穴にピアスをつけてやる。緊張していたからだから、くたりと力が抜けた。
ふわりと揺れた髪が、黒く染まっていく。
「……」
「リィン?」
口を押えていた手を離して、耳元で名前を呼んだ瞬間。
リィンはすさまじい速さでクロウの膝から立ち上がって距離を取った。どうやら『応急処置』はうまく機能しているらしい。
「えーっと、あの、クロウすまない。迷惑……かけた。よな?」
「迷惑っていうか、どこまで覚えて……いや、いい、聞かないほうがいいよな?」
第三寮で薬の影響を受けていたときは、翌朝にはすべてを忘れていたようだったが、今のリィンの様子を見ればあの晩のことも、先ほどまでのこともすべて覚えているのだろう。
黒髪から覗く耳まで真っ赤に染まっている。
「まぁおまえのせいってわけでもないし気にすんなって」
何か気休めを口にすればするほど、リィンが深い何かにずんずんと沈み込んでいくのが目に見えるようで。憐れを感じながらも少し面白いとも思ってしまう。
「まぁ戻ったんならなによりだ。せっかくユーシス坊ちゃん連れてきたけどおまえが見に行くか? アルカンシェル」
「……すまないクロウ、話が見えない」
「おまえが倒れたから、せっかくのチケット余らせるのももったいないっって言ってピンチヒッター連れてきたわけだ」
「そっか。じゃあせっかく来てくれたんだしユーシスに見てもらおう。芸術にも造詣深いだろうし」
「……欲のないことで」
心配と迷惑をかけたせめてもの罪滅ぼしのつもりなのだろう。
「むしろ俺は自分で相当欲深いと思ってるけど」
「……どこがだ?」
過剰すぎる自己犠牲で滅私奉公そのものに思えるくらいだというのに、どこのあたりが欲深いというのか。
「せっかくクロスベルに来たなら楽しんでほしいって思うのは俺の我儘で欲だろ。ついでに傲慢で独りよがりだって自覚もある」
「もっとこう、欲っていうのはなんか違うもんじゃねえのか?」
健全すぎる方向に壊れている後輩は、ずいぶんと健全な欲求に従って生きているらしい。それともグノーシスの副作用だろうか。
クレスタに戻ったら、本格的にベアトリクス教官に見せた方がいいかもしれないと嘆息する。
「それにしてもほしいとは言ったけどなんで右なんだよ」
耳に着けてやった蒼耀の石に、リィンは目を細める。
「おまえの体の七曜の力の流れを調節するのに右耳がちょうどよかったんだよ」
「そういうものなのか? てっきり痛みで正気付かせたかったのかと」
「そんなに痛かったか?」
まだ傷が塞がっていない右耳をそっと撫でてやる。
「あとで軟膏ぬっとけ」
「わかった」
「あと、それ他の奴に見られるなよ? 特にあれだ、文芸部部長」
「……なんとなく意味は分かった気がする」
はぁ、と息を吐いて、リィンはキッチンのドアを見た。
クロウも立ち上がる。
「皿は流しにだしとけばいいか。メガネと貴族の坊ちゃんが心配してるだろうから顔見せてやれよ」
「うん、アルカンシェル楽しんで来いって言わなきゃいけないしな――なぁ、クロウ」
「ん?」
クロウが言えば嫌がらせとしか聞こえないだろうセリフを、リィンが言えば心からそう思っていそうに聞こえるのはきっと仁徳の差なのだろう。
そんなことを考えていたクロウは、続いたリィンの誘いに眉を顰めた。
「ユーシスたちがアルカンシェル見てる間、ミシュラムに行ってみないか?」
「……おまえまだ薬が効いてるのか?」
「もう大丈夫だ」
「なんだよ、お兄さんとデートしたいのか?」
茶化して、冗談だと言わせておしまいにしてしまおう。そんなクロウの意図は、リィンにも伝わっているだろう。
普段ならばからかえばそれでおしまいにできる。
けれど。
「駄目、か?」
「いや駄目っていうわけじゃなくな、男二人でテーマパーク行ってもしょうがないだろうが」
「駄目ってわけじゃないならいいだろ」
珍しく、押しが強い。やっぱりどこか壊れてしまっているのではないか――壊してしまったんじゃないかと心配になる。
「……クロウに迷惑かけたし助けてもらったから、お礼がしたいんだ」
「いらんいらん。見返り求めてやったわけじゃないしな」
「それじゃ俺の気がすまないんだ。協力してくれクロウ」
どこまでも真面目でまっすぐな懇願に、根負けしてしまう。
「お礼ならカジノに付き合ってくれればそれで」
「却下」
「……ったく、しょうがねえな」
断りきれなかったのは、理由をつけて消せない傷をつけてしまった罪滅ぼしかもしれない。
pixiv [2013年12月15日]
© 2013 水瀬
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