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「ユーシス、今から帰るところか?」
乗馬部の練習や馬の世話を終えて第三寮へと戻る途中、そう声を掛けられ視線を上げた。
初夏というより向夏、ここひと月ほどで随分と見慣れた紅い制服の黒髪の学生が、荷物を山ほど積んだ紙袋を抱えて立っている。おおよそ、想像は着くがと嘆息する。
「その荷物は何だ?」
特別実習においても、自由行動日の旧校舎の探索でも。何故かリィンはいつも回復薬だの装備品だのクオーツだの武器だのを料理までも用意して出してくる。今日、腕いっぱいに抱えているそれだとて、そういった類の荷物なのだろう。トリスタのさして多くない店を回って買い集めた、Ⅶ組のみなのためのもの。
倒した魔獣が喰らってため込んでいたセピスの管理もいつのまにかリィンに任されていた。ただでさえ、生徒会だの街の人の手伝いだので走り回っている上に、だ。
だから、その中身を問いただしたかったわけではなく。寄越せ手伝ってやるとでも言うべきだったのだろうと思う。けれどそういったところでこの融通の利かない頑固なお人よしは簡単には荷物を渡さないだろう。むしろこちらを労わって「ユーシスは部活帰りで疲れてるだろ?」と返される声音すら想像がついてしまい、ひそかに嘆息する。
「新しい料理のレシピを手に入れたから作ってみようと思って店を覗いたら、いろいろ新商品も入っていて――つい」
苦笑を浮かべて、荷物を説明する。
「無駄遣いとかは、してないからな」
「お前に限っては、そんな心配は必要ないだろう?」
どこまでも生真面目で、まっすぐで。
「セピス管理の手間賃としての多少の融通くらいはいいんじゃないかと思うがな」
「みんなのものだからな、俺が俺のために使うわけにはいかないだろ……帝国時報とかは必要経費で計算してるけど」
「時事を把握するのも重要だ、かまわないだろう」
「ユーシスにそう言ってもらえると、すこし気が楽になるな」
大荷物を抱えたまま、ふわりと笑う無邪気さや無防備さが。愛おしくもあり腹立たしくもある。荷を抱えていても凛と伸びた背筋。人当たりがよく献身的で真面目で一生懸命。それは、一般的に見れば美徳なのだろうけれど。
ずくり、と意識の奥で何かが蠢く。
「ユーシス? っ、て…あ。……うあっ」
小首を傾げる動きに合わせて、黒髪が揺れる。
抱えた荷物のバランスが崩れて、落ちそうになるのを咄嗟に支えた。
荷物を詰め込んだ紙袋を間に挟んでその体ごと抱きとめている状態に、どきりと鼓動が跳ねた。
腕の中に納まってしまうほどに華奢なわけではない。当たり前だ、細身とはいえそれなりの重量のある刀を振るうのだ。しなやかな筋肉と、それなりにしっかりとした骨格。少女めいたか弱さの欠片もない、歴然と同性そのものの体付き。
脳裏に、バリアハートでの特別実習のときに己を庇った姿が過る。あの夜、傲慢だと詰ったところで相変わらずその傲慢さを知りながら、相変わらず双肩にすべてを抱え込んで。
「ユーシスごめん、助かった」
凛と立つ佇まいは潔く美しいくせに、どこか危なっかしく不安を抱かせる。たまたまこうしてそばにいたから咄嗟に支えることはできたけれど。これが、誰も周りにいない状況であれば。想像して、ざらりとした悪寒に目を眇める。
「……ユーシス?」
微かに首を傾げる仕草に合わせてふわりと揺れる跳ねた髪。耳に心地いいその声に、支えるだけにしては、随分と長い時間、触れていたことに気付かされる。
「いや」
手を離すことが、こころのどこかで名残惜しいと感じてしまっていることに気付かされて内心で苦笑する。
子供という年でも、女性でもない。守らなければならない対象というわけでも愛玩対象でもないだろう。
こうして触れていることが、厭わしくもなくむしろもっとと求めてしまう。手が触れて体温を感じられる距離にいることで、安心できるような気がする。
手を離せばまたふらふらと別の誰かを手助けしに行くのだろう。両手に抱えきれぬほどの荷物を持ったままでも。何一つ手放そうとはせずに。なるほど、傲慢だと自覚しているままに。いつか抱えた重みで潰れてしまうんじゃないだろうか。
そう不安を抱かせるこの男が悪い、と責任転嫁して抱きとめる。
不思議そうにしていたリィンが、わずかに居心地が悪そうに身じろぐ頃には、それを楽しむ余裕すら出てくる。
我ながら悪趣味なものだと自嘲しながら、困ったように眉尻を下げる様を堪能する。
あまりやりすぎたのか、じとりと睨み付けられた。
「……なんか、楽しんでないか? ユーシス」
「まぁ、悪くはないな」
ふっと笑えば、腕の中でリィンがはぁと長く息を吐く。
「そういうことは、可愛い女の子にでもしてやればいいじゃないか」
吐かれた言葉に、こちら側もつられるように目を眇める。
「お前からそんな言葉がでてくるとはな……」
もぞり、と逃れようとするけれど荷に両手が塞がれていてはいかにリィンとはいえそう簡単に逃げ出せはしないのだろう。
「……そろそろ荷物で腕がしびれてきたんだが」
「鍛え方が足りないのではないか?」
「言っておくが、俺は元々こんな状況想定してないからな……」
溜息交じりにそう呟くのを見下ろし、微かに口端を吊り上げる。
「転びかけたのを助けてもらったのは、ありがたいとは思っているんだけどな……いい加減、解放してくれてもいいんじゃないか?」
「ならば、持ってやろう」
さすがにからかい過ぎたかと、話した手を代わりに荷物へと伸ばす。
「うーん、……それはさすがに申し訳ないような」
「腕がしびれたのだろう? また落としかけても面倒だ」
取り落とすよりはましと判断したのか、リィンがおずおずと荷物を差し出す。この期に及んでまだどこか躊躇っているらしいあたり往生際が悪い、というか。
紙袋を抱えれば見た目以上の重さに、これは腕がしびれるだろうと苦笑する。
「な、重いだろ?」
「構わん」
行くぞ、と歩き出せばさりげなく隣を歩いてくる。労わっているのか、気遣っているのか。両方、だろうか。
「ユーシス、やっぱり俺が……」
「断る」
帝国貴族たるもの。一度引き受けたものを、重いからといってあっさりと渡すつもりもない。
「なら、荷物を運んでもらったお礼になるかわからないけど試作した料理とお茶、一緒にどうかな」
「そうだな、付き合ってやろう」
「了解」
す、と嬉しそうに双眸を細めて、普段は静かな動きがどこか嬉しそうに華やぐのを見るのも、悪い気はしない。石畳の道を左に曲がれば、この数か月で見慣れた寮が目に入る。
荷物で両手が塞がっているからどうするかと考えるよりも早く、ドアが開かれた。
「おかえりなさいませ、リィン様、ユーシス様」
ラインフォルトのメイドに。にこやかに出迎えられる。
「お荷物、お持ちいたしましょうか?」
「いや、構わん」
「ただいま、シャロンさん。キッチンを少しお借りしたいんですが」
寮のロビーを歩きながらメイドに許可を請うのを見下ろした。ええ、もちろんご自由にと、いつもの笑顔と声音で返されて苦笑する。随分と出来のいいメイドだ。
「ならば、これはキッチンに直接運べばいいか?」
「ああ、よろしく頼む、ユーシス」
一歩先を歩くリィンが、キッチンへ続く扉を開く。足を踏み入れてきれいに磨き上げられた台の上に紙袋を置いた。
「ありがとうユーシス、先にお茶淹れるから少し座って休んでいてくれ」
制服の上着を脱いで椅子に掛け、シャツの腕を捲っていく。用意していたらしいエプロンを掛けて結んだ紐が立て結びになってしまっているのはご愛嬌だろう。
「それで? 何を作るんだ」
水を汲んだ薬缶を火にかけながら、ティーセットを用意するリィンを見遣る。
「ハンナさんに教えてもらったベリータルトだ」
「ほう?」
「紅茶と相性はいいんじゃないかな……お菓子の類は正直、あんまり作ったことないから、上手くできる自信はないけどさ」
紙袋から、買い込んできた材料を取り出して並べていく姿に、ふと違和感を覚えて目を眇めた。姿、というか、意外に器用に動くその手の、指。
窓から差し込む夕陽と、キッチンの照明を、何かが反射した光が目を刺す。
今朝からのリィンの様子を思い起こしてみても、授業の間はなにも気づかなかった。帰り道で出会った時も、そのささやかな違和感よりも手にした荷物の量に意識が向いていたのだろう。
左手の小指に収まった、華奢なデザインの紅い珊瑚の指環。
「……ユーシス?」
射抜くように睨み付けてしまった視線に、気配に敏いリィンは気づいたのだろう。小首を傾げ、心配するようにこちらをまっすぐに見つめてくる。
「それは、どうした」
上手く、声を作ることができずどこか掠れた自分の声に苦笑する。どれほど、動揺しているのだと。
肚の奥で、どろりと湧き出す感情に必死で蓋をしてみない様にしようとして。
「これか? 貰ったんだ」
どこか困ったように、照れたように笑うリィンに。ぷつり、と理性の糸が切れた。湧き上がってくる冷たい激情は、乏しい表情筋のおかげかリィンに気付かれはしなかったらしい。
お前は、その意味をわかってそれを身に着けているのか、とか。誰からだとか。問うべきことはいくらでもあるのだろうけれど。つい先刻、行き掛り上の事故のように知った感触と体温をいまだに覚えている手を握りしめる。離すことを惜しいと思った己の感情とその意味。
つまり、そういう意味でこのどうしようもなく人を誑す朴念仁を欲していて、誰とも知らぬ指環の送り主に嫉妬している、と。
庶子とはいえ栄誉あるエレボニア帝国四大名門の筆頭、アルバレアの血に連なるものとして相応しいか否か。アルバレアに引き取られて以降、それが自分にとっての行動の指針で。そこに俺個人の感情を挟むことはあまりなかった。ユーシス・アルバレアという個人とアルバレアの物であるという事実は、兄上の存在故かそれほど乖離もせず相反することもなく成り立たせてこられた。
けれど。
士官学院の同級生、家格としては多少は落ちるが皇族ゆかりのシュバルツァー男爵家であれば父や兄もそのことに文句を言うことはないだろう。けれど、同性だという時点でおそらくはいい顔はされまい。あの男が母にしたように愛人という扱いという選択は、母に対しても、リィンに対しても。選びえない。
生じた齟齬に、苦笑する。
家のことを思えば、ユーシスという個人の欲を収めて気づかなかったふりをすることが正しいのだろう。兄上ならば、そう諭すだろうか。
けれど。
ゆっくりと立ち上がり、ダイニングとキッチンからロビーへと続くドアへと向かう。閉じられたままのその扉に、内側から鍵を掛ける。かちゃり、と響いた音に、菓子作りの準備をしていたリィンがこちらを向いた。
「ユーシス?」
何をしているんだ? と。その眼差しに問われて口端を吊り上げる。
「……っ、んん」
後ろから覆いかぶさって、シンクに押し付けるように伸し掛かる。Ⅶ組の同級生という油断と許容ゆえか、その体はすんなりと腕の中に納まった。
他の誰かの名を呼ぶのも、拒絶も聞きたくなくて、その口を掌で覆う。朴念仁で生真面目なリィンはきっと、普段朝食や夕食を取る生活空間の中で、クラスメイトに襲われるなど想像もしてなかったのだろう。なんとか逃れようと身動いてはいるものの、こちらに対する気遣いなのか本気で暴れる気はないらしい。
心の中のどこかで。こちらを殴り飛ばしてでも逃げてくれと願っていなかったかといえば嘘になるだろう。そうしてくれれば、ただの気まぐれな趣味の悪い悪ふざけ、それだけで済ませることもできただろうに。
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