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トールズ士官学院の馬術部員の朝は早い。生き物である馬と付き合うのだから当たり前だといえば当たり前だが朝の五時半には起きて馬に朝飼い、厩舎を清掃して水桶の水をきれいにして、昼休みも放課後も毎日休みなしだ。
一応部としては持ち回りの当番制になってはいるが部長のランベルト自身がつねにマッハ号とともにいたいらしく率先して毎日世話をしている。
そんな姿を見せられれば一年生部員であるユーシスやポーラも馬の世話を怠るわけにもいかない。
ノルドの遊牧民ならば日常であるそれは、けれど学院生活においてはそれなりに珍しいかもしれない。貴族生徒であればそういった世話は使用人に任せる者もいるだろう。
ノブレスオブリージュ。
貴族の義務としては、本来ならば馬番の仕事を奪うべきではない。それもある意味では正しいのだろう。人には向き不向きや本来担うべき役割というものもある。
それでも。せめて学院にいる間だけでも、馬に触れて直接自分の手で世話をすること。それをユーシスが厭うことは今までなかった。
けれど。今朝だけはその日課に出かけるのに後ろ髪を引かれる思いがした。
普段ならばユーシスとほぼ同時刻には起きて早朝から八葉の型を浚っている黒髪の少年の姿が、今朝はない。
理由など、誰よりわかっている。
リィンはユーシスが起きだした今もまだ、ユーシスのベッドで無防備に寝顔を晒しているのだから。
――やはりポーラに連絡して当番を代わってもらうべきだろうか。
手の中で緋色のカバーを付けたARCUSを弄びながら、考える。一応、ランベルト部長とポーラの番号は登録されている。連絡しようと思えばすぐにでも今朝の朝飼いと馬房の寝藁交換は代わってもらうことも可能だろう。
けれど、どう言って代わってもらう?
クラスメイトの体調不良を理由にすれば、おそらくこの底抜けにお人よしで自分の価値をどこまでも理解せずにいまだに改善の見られない身食いに近い自虐癖のある少年は、相も変わらず自分のせいだと自責の念に駆られ無意味に落ち込むだろう。
健康優良児そのもののこの少年の日課をさぼらせるほどに酷使したのはユーシスだというのに、その原因であるユーシスすら恨みもせずに。
それを自覚して傲慢だとも散々諭され理解しているくせに。それでも生き方も、戦い方も変えることもなく。
眠っているリィンの刻耀石の髪をそっと梳き撫でる。
閉じたままの目元はまだわずかに赤みを帯びていて。
己の昨夜の所業を、思い起こさせた。
後悔はしていない。
散々考えた末の行動だ。
もっと大人になれば。たとえば兄ならば。あんな方法以外のもっといい手段も考えついたのかもしれない。まだ17という年齢では、経験も忍耐も圧倒的に足りない。それを学ぶためにここにきたというのに、こうして己の至らなさを思い知らされる。
逃げ場を与えずどこまでも追い詰めて、泣かせて。その意地っ張りな表層を力づくではぎ取った。
我ながら優雅さやスマートさに欠けていることはわかっている。兄であれば、もっと上手くやれただろうとか、ただの自己満足のそれにすぎないことも。それでも。
罪悪感はあっても後悔はない。
「……」
手にしていたARCUSの通信機能を使うことはせず、そのままポーチに放り込んで立ち上がる。机の引き出しからシンプルな便箋を取り出し、使い慣れたペンで書きつけた。
「……」
ドアを開ければ、ちょうど部屋を出てきたガイウスと目があった。
「今日は遅いんだな」
めずらしい、とそのブルーグレイの双眸に浮かべる留学生に苦笑を返す。
「お互い様だ」
「何か気になることでもあるのか?」
相変わらず敏いガイウスに、ユーシスは僅かに目を細める。
「リィンの奴が、な」
「そういえば今朝はまだ見かけないな。どうかしたのか?」
「いや……」
少し言葉を切って、腕を組みなおす。
目を伏せて、息を一つ。
「昨夜から体調が悪いらしい。一晩ついてて今は俺の部屋で休ませているんだが……」
嘘ではないし、この男相手に嘘を言ったところで見透かされるだろう。
ユーシスの言葉にガイウスはふむと頷きわずかに考えるそぶりを見せた。
「リィンの世話と馬の世話どちらを手伝えばいい?」
返された言葉に苦笑が深くなる。
本心を言えば、どちらも自分の手でやりたいところだ。執着と独占欲の強さは自覚している。
けれど、あいにく人間の腕は二本しかなく寮と学院の厩舎は遠く離れすぎている。どちらも手放したくないなんて我儘は通らない。
それにここはバリアハートではない。そりが合わない奴もいるが気の置けない友人も、信頼できる仲間もいるのだから。
半年という期間で得られたもの。
ならば。最善策を取るべきだ。
「……あの阿呆を見張っていてくれ。体調が悪くても顔に出さずに普段通りすごそうとするだろうが、首輪でもつけてベッドに縛りつけておいていいくらいだ」
「了解した」
言葉少なに請け負ってくれた仲間に、感謝して。ユーシスは寮を後にした。
「……やはりな」
少し遅れたものの朝の馬の世話を終えてⅦ組の教室に行けば、いつからかこの特科クラスの『重心』と目されている黒髪の少年は何食わぬ顔で自分の席に座っていた。
ちらりとガイウスの方を見やれば、すまないと口を動かして謝罪の意思を伝えられる。
おそらくこうなるだろうと予想はできていた。元より彼を責める気はない。こちらこそ面倒を押し付けて悪かったと告げてため息を一つ。
心を落ち着けるためにそれだけの時間を取って、自分の席へと向かう。
「えっと、おはよ…う?」
少しひきつったような笑みとともに、のんきな挨拶を寄越され。思わずじっとりと睨み付けてしまう。
まったく。
赤みの引かない目元と比べて、唇の色があせて見える。普段はまっすぐにのばされている背筋もどこか精彩に欠け、どこか気だるげだ。
「まったくおまえという奴は……今すぐベアトリクス教官のところに突き出してやろうか」
「え」
あいさつを返すでもなく、剣呑に呟けばリィンは目を瞬かせた。
おかしなことは何も言っていないだろう。体調不良の学生が保健室に担ぎ込まれることなどよくあることだ。
「いや、大丈夫だから」
困ったように眉尻を下げて覇気なく笑う。
この男が自分に対して使う『大丈夫』ほど、信用が置けないものはない。
「今日は実技もないし……ほとんど自習になりそうだしな」
「ならば自室で休め」
「そういうわけにもいかないだろ」
苦笑して、リィンは鞄から教科書を取り出して机に並べる。政治経済学の課題のレポートに書かれた、きれいというよりは丁寧な筆跡。内容の生真面目さも、いかにも『らしい』。
しかし、レポートの提出くらいならばクラスの連中にでも託ることもできただろうに。いくら堅物のハインリッヒ教頭とはいえ、この時勢で学生に対して無茶はいうまい。
「……それに、」
紫銀の双眸が揺れる。何かを呟きかけた瞬間に教室のドアが開き靴音も高らかにサラが入ってきた。
元A級遊撃士である彼女ですら、飄々とした態度とは裏腹にどこか追い詰められたような焦燥を浮かべている。
溜息とともにもたらされたそれは、重い。
「来てもらったところで悪いんだけど今日は休講、各自寮で待機。伝達事項は以上よ。何か質問は?」
教室を見渡したサラに、リィンが手を上げる。
「クロウとミリアムがまた来てないんですけどどうしましょうか」
夏から編入してきた二人の席は空席になっている。それを視線で確認して、サラはもう一つ息を吐いた。
「ミリアムは情報局の方の仕事でしょうね。さっきもちょろちょろしてたし。クロウは見かけたら声かけといてちょうだい」
「了解です」
「ああ、忘れるところだった。教頭の出したレポート回収するように頼まれてたのよね」
教室を出ようとしたサラが、思い出したように振り返った。
「あのさユーシス……そんなに見張ってなくても大丈夫だから」
愛想笑いを浮かべてベッドに座るリィンを見据える。
なにが大丈夫だ。
寮に戻って私服に着替えたリィンは、また何か手伝いに行こうと部屋を出たところでユーシスに捕獲された。
「頼まれた手前クロウとミリアムでも探しに行くつもりだったのだろうが」
座ったままの目で見据えれば、リィンは僅かに肩を竦めた。
「お見通しか。さすがユーシスだな」
「褒められた気がせんしおまえはそういう意味ではわかりやすいからな」
極端にわかりやすく、同時にわかりにくい。
リィンの責任感の強さと生真面目さを考えれば、サラに頼まれた手前なんとかクロウとミリアムに連絡をつたえようとすることくらい、簡単な推理だ。
「ARCUSは何のために持っている」
「……そっかトリスタにいるなら通信はできるよな」
言われて初めて気づいたようなリィンに、ユーシスは目を眇める。頭が悪いわけでも、察しが悪いわけでもないだろうに変な部分で純朴だ。
「……直接伝える方がお前の好みなんだろうがな」
「ん?」
ユーシスが吐き捨てた呟きに、リィンは首を傾げた。
「まぁ、うちの郷田舎だしさ……声だけで連絡とることとかトールズ士官学院に来るまであんまり経験なかったしそうかもしれない」
それは好みというのか、慣れの差だろうか。
「やっぱり、顔みて話するほうが安心する」
「それはまぁ否定はしないがな」
この半年でARCUSもずいぶんと手になじんできたけれど、四大貴族の一角であるアルバレア家の二男であってもこういった機器にそれほど慣れてはいない。
「ああでも、こういうのがあったら父さんと母さんは喜びそうだ」
「シュバルツァー男爵がか?」
「ああ、将来的に通信網が整備されてからだろうけどさ。父さんがふらりと狩りにいってもちゃんと連絡がつくだろ」
母さんも安心するだろうし――そんなふうに、楽しげに、懐かしげに。他愛なく故郷のことを口にしてリィンが柔らかく笑う。
「そうだな」
あの男爵に育てられた故なのかもしれないな、とユーシスは少し遠い目をして思う。
現状では最先端の軍事技術だ。それすらリィンにとっては何か暖かなものとして捉えられるらしい。それだけユミルのシュバルツァー家の環境は健やかなのだろう。実際に行ってみても感じたことだが。
「なるほどな、シュバルツァー家の男には首輪と鈴も必要ということか」
「……なんか、すごく不穏なこと言われた気がする」
浮かべていた笑みに苦味が混じる。
「なぁ、ユーシスってこんなに過保護だったっけ?」
「さあな」
誰のせいだ誰の、と内心で思ったところで、敏いくせに変な部分が『壊れている』レベルで鈍いクラスメイトには伝わるまい。
そっと手を伸ばして、その黒髪に触れてみる。
梳き撫でて、滑らせて額に触れる。
「この……阿呆が」
「ユーシス?」
触れた額は相当に熱をもって、じんわりと汗を滲ませている。十月下旬だ、気温の高さを理由に言い訳など聞いてやるつもりもない。
「やはりベアトリクス教官のところへ運び込むか……」
「少し休めば大丈夫だと思う」
さすがに発熱していることがユーシスに明確にバレてしまえば、リィンも触れられたままおとなしくしている。
「俺もともと体温高いみたいで、昔から風邪ひいて熱出してもあんまりつらく感じないんだ。すぐ治るし」
だから心配する必要はないといって笑う。
それも、この男のどうしようもない悪癖と同根なのではないかと思う。
自分の身を守る本能がどこまでも希薄なのだろう。そして何もかも自分で抱え込んで、飲み込んで。触れさせもせず逃げる。
「リィン」
いつからその名を呼ぶようになったんだったか。
鐘の音のような清々しいその響きを口にすることは結構気に入っている。呼べば、紫銀の双眸がこちらを見ることまでを含めて。
熱のせいか、いつもより赤みを帯びた眸が潤んで揺れる。隠しているつもりで、まったく隠しきれていないくせに。
視線だけで、何だと問われて口を開く。
「教室で何かいいかけただろう? サラ教官がくる前」
「……ああ、あのことか」
呟いて、部屋の窓へと視線を滑らせた。
紅葉した街路樹の葉がひらひらと落ちていく。
「大したことじゃないんだけどな……少しでも、Ⅶ組にいたいと思ったんだ」
感傷めいた言葉に、ユーシスは眉を顰める。
「時間がないんだ」
「リィン」
「ユーシスは卒業したら領邦軍へ行くかアルバレアに呼び戻されるだろうし、マキアスは正規軍か革新派に。他のみんなも、あるべき場所へと進むだろ」
「まだ決まったわけじゃないがな」
否定する材料をユーシスは持ち合わせてはいない。
思っていたよりも近い将来、そうなる可能性は高い。この国のあり方は、時間は、待ってはくれない。
「見たくない。ユーシスとマキアスが殺し合うこととか、ノルドやクロスベルが戦場になることとか。ラインフォルトの武器で人が死ぬのをアリサに見せることとか。嫌なんだ」
淡々と呟かれるその内容は、子供の我儘や泣き言のレベルだろう。
けれど。
「『そうならない』未来のために、足掻く方法すらわからないけどさ。学生の本分は勉強かなって思って」
「まったくおまえは真面目すぎるな」
「そうでもないさ」
頭を撫でられて、うれしそうに気持ちよ下げに目を細めて。リィンはゆっくりと立ち上がった。
少しふらつく体を支えてやる。
「とりあえずクロウ探しに行く。無理はするつもりはないけど、心配ならついてこればいい」
「なるほど、そういってガイウスも説得したのか」
「うーん、どうだったかな」
誤魔化すというよりも、それがリィンの素なのだろう。説得という意識もないのかもしれなく無自覚に人を誑し込む。
「ユーシスが望むなら、軛につながれるくらい俺はかまわないんだ」
どこか楽しげに笑って。
溜息をつきながらも、ユーシスもつられてかすかに口端を吊り上げてしまう。
トリスタの町や店を覗いても、あの特徴的な銀髪の姿はなく、結局再び学院まで戻ってきてしまう。
最初に技術部へ向かいジョルジュに訊ねてみたが今日は見ていないらしい。
本校舎やグラウンド、学生会館、図書館といったあたりも回ってみたものの探す姿は見当たらない。
「あと探してないのって……旧校舎、かなぁ。講堂は鍵かかってたし用務員さんも見てないって言ってたし」
「可能性はなくもないだろうが」
あの学院祭の前夜のこともある。クロウが旧校舎にいっていてもおかしくはないだろう。
「……こっちも鍵はかかってるな」
「なら他を見に行ってみるか?」
ユーシスの提案に、リィンは少し考えて首を横に振った。
「いや、一応見てみよう。クロウとは別件で気になっていることもある」
預かっている鍵を取り出して旧校舎の扉を開く。
何度も通った場所だけれど、何度来てもよくわからない場所だ。学院際の練習で使ったホールや通り慣れた地下へのエレベーターがある方へは向かわず旧校舎自体を散策しはじめる。
「なんのつもりだ?」
てっきり地下へ探しに行くものだと思っていたユーシスが口を開く。
「地下なら俺たちが探しに行きそうだろ?」
振り返って、まっすぐに視線を合わせて根拠を答えて、そしてリィンは少し極まりが悪そうに笑う。
「それに正直なところ、俺今あんまり魔獣と戦いたくないしさ」
「賢明だな」
苦笑を浮かべ理由の一つを明かしたリィンに、ユーシスも同意する。地上に近い側の階層の魔獣ならばそれほどでもないだろうが、7層あたりの巨大魔獣を相手に病人をつれて二人で立ち回るのは不利すぎる。無理はしても無茶はしないということだろうか。
それもそれでなおさら性質が悪く思える。
旧校舎の建物自体は探さないだろうと思われているから隠れるには最適だとでもいうのか。確かに使われなくなって久しい旧校舎の建屋自体は本校舎と大差ない大きさだ。人一人かくれんぼするには十分だろう。けれどその古さもあってあちこち崩れかかっているから通れる場所も限られてはいるし地下とは違った意味で危険はありそうだが。
瓦礫や遺棄された元家具だったものに苦戦しながら、廃墟の一階部分を探索していく。
蔦が這う壊れかけた窓から差し込む陽光だけが光源。妖しさをいや増す薄暗さは、幽霊話の一つや二つでてもおかしくない雰囲気だ。ミリアムあたりがいたらぎゃーぎゃーと騒ぎそうだなと想像して、ユーシスは一人唇を歪めた。
ユーシスの視線の先で、リィンは古びたドアを前に悪戦苦闘している。建て付けが悪くなってドア枠がゆがんでいるのか鍵がかかっているのか、がちゃがちゃと引っ張っても押しても開かないらしい。
「代わってみろ」
「頼む」
おとなしく場所を譲ったリィンに代わって、ユーシスがドアノブを回した。その状態で、ドアの下部を蹴りつける。
古びた蝶番が軋みを上げて、ドアが開いた。
「ユーシスすごいな」
きらきらとした眼で尊敬されても、あまり誇れない内容な気がしてユーシスは視線を部屋の中に向ける。
「……あの阿呆はいないか」
「みたいだな。もう何年開いてなかったんだろうな、この部屋」
きょろきょろと部屋を見渡す。
かつては教室だったのだろう、並べられたまま経年劣化で崩れかけている机と椅子と教壇。古びたキャビネットには古い本が並んでいる。放置されているのは図書館に移すほどの重要な書籍ではないからだろうか。
波打ったガラスの填まった大きな窓から差し込む光が、明るく照らし出している。
「何十年も前には、ここで授業していたんだな」
「だろうな」
「父さんの先祖とか、ユーシスのご先祖様も授業受けてたのかもしれないな」
ドアを閉めて、教室へと入る。埃の積もった机に指を滑らせ、リィンは呟いた。
それこそ本校舎ができるまではドライケルス帝以降の歴代皇帝もここで学んだのだろう。この教室そのものではないにしろ。トールズ士官学院にはそれだけの歴史と伝統がある。
帝国に連綿と受け継がれてきた血脈も。
「圧倒されるな……時々、俺なんかがここにいていいのかって思うくらいだ」
「リィン」
吐き出した呟きに応えた声は、諌める響きを持っている。
呼ばれた名に、リィンはくすぐったげに目を細めた。
「わかってるって。みんながいるから、俺はここにいることを許してもらえているんだ」
感謝してると笑うリィンに、ユーシスは嘆息する。やっぱりこの男はまったくわかっていないらしい。
どう言葉を尽くしたところで、通じるものでもないのだろう。それで治る程度ならシュバルツァー男爵家やユン・カーファイがとっくの昔に改心させられただろう。
実際のところ自覚させただけでもすごいものだと思う。
「……あのさ、ユーシスどうせ『わかってない』って思ってるんだろ。そういう顔してる」
「生憎あまり感情は表に出ない性質でな」
「それはないな」
笑みを深くして、リィンが振り返る。
伸ばされた腕は、ユーシスが首にかけていたストールを掴んで、引っぱる。
「ユーシスはどこまでも健やかで素直で優しいから、子供や動物に好かれるんだ」
「動物はともかく子供に好かれてもあまりいいことはないがな」
苦笑交じりの溜息に、リィンは目を瞬かせる。
「てっきり否定されるかと思った」
「おまえじゃないが……いい加減思い知った」
まさかトリスタにきて子供に懐かれて菓子を強請られる羽目になるとは予想もしていなかった。そもそも素性を知っていてさえあんな子供が士官学院にいること自体がどうなんだろうか。
「お疲れ様。まぁ、でも……俺もなんだからな?」
「は?」
まぁ確かにミリアムはリィンにも懐いてはいるだろうが。その思考は口にするまえに視線を合わせたままのリィンには伝わっていたらしい。
「ああ、そっちじゃない。俺も子供だって話だ」
「は……?」
リィンの言葉が一瞬脳内で繋がらなくて、茫然としてしまう。その状態のまま、さらに強くストールが引かれユーシスは眉を寄せた。
「嫌なら俺を殴りつけてでも止めろよ、ユーシス」
どこか掠れて、熱を帯びた囁き。
そのまま唇に触れた温度の高さにぎょっとする。
伏せられた睫毛の長さに、思わず喉が鳴る。
ただ触れていた唇がわずかにズレて、強請るように下唇を啄んでくる。伏せられていた睫毛が揺れて、挑発的な光を帯びた赤紫がこちらを見つめる。
熱がとうとう脳にまで回って茹ったのか。行動の唐突さと取り留めのなさは時折感じたこともあるが、それにしても唐突だろう。
けれど強引な誘いに、否やはない。
相手の体調を思えば殴りつけてでも止めるべきなのだろうが。服越しにも熱い体を抱き寄せて喰らい返してやる。
絡めた舌の熱さに、眩暈がした。
廃墟と化した教室に、湿った音が響く。
初めての時にはただ翻弄されるばかりだった口づけに、しっかりと意図を汲んで答えてくる。
歯列をなぞり、器用な舌を甘く吸って。時折強めに歯を立てれば切なげな声が上がるのが楽しくて笑いを飲み込めば、抗議するように睨み付けられる。
熱をもって乾いた口腔を潤すように唾液を注ぎ込む。
体液を交換して、無防備な粘膜を晒し合って、煽られる。渇いているのは、どちらだというのか。
「……っん、」
がくん、とストールごと引っ張られ、床に座り込んでしまったリィンを支えて、一緒に座る。
「……は、ぁ」
くたりと身を預けてくるリィンを抱きとめて、髪に指を通す。
「ははっ、やっぱりユーシスにはかなわないな」
額をユーシスの肩に押し付けて、甘えるように呟く。
少し悔しさをにじませる声とは裏腹に、機嫌のいい猫のようにおとなしく撫でられている。赤に熔けて濡れた双眸を、眩しげに細めて。
「一体何の勝負だ」
苦笑交じりの呟きに、答える声はなかった。
代わりに聞こえてきたのは、ひどく穏やかな寝息。
「……まったく」
かなわないのは、どちらだと思っているのか。
あれだけ官能的なキスを仕掛けておいて、それで満足したかのようにあっさりと寝落ちられたユーシスは瞑目する。
それだけ安心されていることを誇ればいいのか、それとも男として甘く見られていると嘆けばいいのか。
眠るのならばわざわざこんな場所でなくてもいいだろうに。
熱のある体を冷やさないように、寒くないように腕の中に抱えて嘆息した。
pixiv [2013年11月27日]
© 2013 水瀬
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