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「演劇?」
「そう、演劇必修だよ? うちの学院」
リィン知らなかったの? と訊ねるエリオットに茫然と頷いた。
八月上旬。
帝都での実習を終えたⅦ組の面々は、トールズ士官学校に帰還した。街路樹は青々と生い茂り、空には幾重にも盛り上がった入道雲と太陽が存在を主張している。トリスタの第三学生寮から学院までの道を、早朝だというのにじりじりと肌を焼きつける日差しを避けるように木陰を歩く。
「うちも一応士官学校だからね。四割とはいえ軍に入ったら尉官なわけだし、部下を鼓舞するのにも役立つってことで昔から必須。うちの学校が音楽教育にも熱心なのもその理由もあるんじゃないかな」
「へぇ、そうなんだ。オリヴァルト皇子とか、得意そうだよな。主席だっけ」
帝都での特別実習でであった皇族のことを思い出す。
「皇子はオペラ座の出演経験もあるって聞いたよ。あの人は別格なんじゃないかな」
本人はただ音楽に触れていたいという欲求で選んだ進路だったけれど、実際の軍における音楽隊というものの存在は大切だ。
それにしても、演劇か。
「……俺、演技なんて日曜学校の生誕祭くらいでしかやったことないんだけどな」
思い返してみて嘆息する。うまくやれた記憶はない。ひどく緊張して上擦った声で必死に覚えたセリフを棒読みで言っていた幼少時を思い出すと、気恥ずかしさに顔が熱を持つ。
「うん、僕もリィンの場合はお芝居より本音で激励するほうが似合ってると思う」
「それでも必修科目は必修科目だしな……演技かぁ」
「うちのクラスは特別実習で結構日数押してたからね。他のクラスはもう終わったらしいから僕たちもがんばらないと」
「そうだな」
ぐっと拳を握りしめて気合を入れているエリオットに、頷いた。
本校舎二階のⅦ組の教室。机の上には、図書館から借りてきた数冊の本が無造作に積まれている。
「やっぱり人形の騎士、かなぁ」
「お話は好きだけど一週間で仕上げるにはちょっと難しいんじゃないかしら」
「人形の騎士ならティーア姫はユーシスだな」
「ちょっとまて、どうしてそうなる」
「空色の眸なのはお前しかいないだろう」
「エマも青だろうが!」
「委員長は空色というより青灰色なイメージが」
「ならガイウス」
「ユーシス……おまえはガイウスの姫姿が見たいのか?」
「俺カラミティがいいな、セリフないし立ち回りだけでいいんだろ?」
取り留めのない話で議論が空転する。
「はぁ……とりあえず人形の騎士は一時保留にして他にも考えてみよう」
そんなリィンの言葉に、エリオットが本の山から一冊を取る。
「白き花のマドリガルは?」
「登場人物少なくないか?」
「そっかぁ……なるべくみんなが演じられてなおかつそれほど長くなく内容も面白いものってなるとなかなか難しいよね」
本を机に並べてみる。
人形の騎士、白き花のマドリガル、カーネリア。陽溜まりのアニエスに金の太陽銀の月。マルクと深き森の魔女、三つの腕輪。
「うーん、この中でⅦ組でできそうなのってカーネリアかな。役の数と人数も合うし」
「紅い月のローゼは? あれ好きなんだけど」
「ローゼはまだ発刊継続中でお芝居にするには難しそうだよ。ストーリー捏造する手もなくはないけど今回はそこまで時間的猶予がないから難しいと思う」
「賭博士ジャックとか闇医者グレンや詐欺師フロードの華麗なる冒険も面白いけど『わたしたちが演じる』のには無理があるね……おっさんいないし」
話し合いの結果、カーネリアと保留中の人形の騎士の二つに絞り込む。
「シスター服ってなんかいいよな、清楚で」
「しかもシスターカーネリアはシスター服にハイヒールだし、なんかいいよな」
17歳の少年らしいそんな感想を言い合っていい笑顔で頷き合うリィンとマキアス。
「そうね……人形の騎士にしましょう」
「ええっ!? なんでだ」
珍しくあからさまにがっかりするリィンを、アリサがじっとりと睨み付ける。こうなった彼女を説得する術を、リィンは持ち合わせてはいなかった。
「……わかった、人形の騎士で決定しよう。配役はどうするんだ? 俺としては女装ティーア姫には反対させてもらう」
睨まれる理由をわかっていないままに、とりあえず話を進めていく。
結局主役のペドロはエリオット、ティーア姫はエマ、蒼騎士をライラ、名匠カプリ・オラトリオをガイウス、黒法師をフィー、仮面の人形師ハーレクインをアリサ、赤い悪魔人形カラミティ―をリィン、公爵をユーシス、その副官をマキアスが演じることでなんとか配役は落着いた。
「悪役か……おもしろい」
「なんでこんな奴の部下……」
「衣装はどうするんだ?」
「人形の騎士は結構みんながよく演じるから、衣装や小道具や鎧は揃ってるって話だよ。講堂の倉庫にあるんじゃないかな」
「じゃあサラ教官に相談して、先に衣装も合わせてみようか。サイズが合わなかったら場合、時間もないから配役自体変える方がいいし」
「脚本はどうしようか」
「あ、じゃあ私が脚本と演出もやりましょうか」
「ああ、頼む」
文芸部に所属しているエマの立候補をありがたく受ける。そうしてなんだかんだと必修単位の演劇の準備は進んでいった。
授業や部活動の合間に劇の練習をする。セリフ合わせは教室でエマの書いた台本を片手にすることもできるが、殺陣ともなるとそうもいかない。
ギムナジウムかグラウンド、旧校舎を借りてラウラと剣を合わせる。
互いに手にしている武器は、本来の得物とは違っている。ラウラは大剣ではなく騎士剣を。リィンは太刀ではなくジャマダハル。
武器の違いはリィンとラウラにとってはそれほど大きな問題ではなかった。
ただどうしても二人で動けばそれは見た目には模擬戦とかわらない組手状態になってしまう。
『魅せる』よう意識してしまうと途端にどうすればいいのかわからなくなる。
「想像してた以上に難しいもんだな」
他の生徒の邪魔にならないようグランドの体育倉庫の陰で、一通り練習してみてリィンは溜息を吐いた。
「うん、動き自体はできている筈なのだが……」
ラウラも騎士剣の刃を見つめながら秀麗な眉根を寄せる。
「間合いも合ってる……よな」
あまり得意な分野ではないから、確証が持てない。
指示された通りに動くことは二人ともできている。そもそも戦闘に関してはラウラは図抜けているのだ。
けれどそれだけでは、圧倒的に何かが足りない。
「フィーはこういうの意外と得意なんだな」
おなじ人形役の少女は、元の本では大男だという設定とは裏腹の小柄さながら、演じるということにはリィンとラウラよりも長けていた。
意外と、という言葉は飲み込む。戦場では『はったり』も必要だったから、と淡々と呟いていた銀髪の少女を思い起こせば、それは元々の気質よりも、必要だったから得た技能だとも思える。
それは経験、と言い換えることもできるだろうか。
ならば、年下のフィーが容易くこなすことを、こうしてできない己の、経験不足と努力不足を思い知らされるばかりで。
知らず、焦る。
「私もまだまだ未熟だと思い知らされる。後から思い返していい経験だった思えるようにありたいのだが、な」
珍しく苦笑を浮かべてライラは騎士剣を鞘に納めた。
「さて……観客なしに芝居などしてもつまらぬが、盗み見というのもあまり性質がよくないのではないか?」
琥珀の双眸を細めて、ライラが見やる方へとリィンも視線を向けた。
体育倉庫の屋根の上。そこに見慣れた緑の制服を見つけて、わずかに目を見張る。
「いやー、別に覗き見してたってわけじゃないんだが……がんばってる青少年を微笑ましく見てただけでだな」
きまり悪げにぶつぶつと言い訳めいたことを呟く銀髪にバンダナ姿の先輩に、思わず苦笑する。
「いつから見てたんですか、クロウ先輩」
「おまえらが来る前から俺はここにいたんだが」
「……普通、そんな場所に上りませんよね?」
「おまえ知らねえのか? ちょうどいい隠れ場所の一つなんだぜ、ここ」
通常の学院生活を送るうえでは確実に必要ない知識がまた一つ増える。そもそも、体育倉庫の屋根だと本校舎屋上から見渡せばすぐに見つかりそうなものだが。トワ会長の手伝いでクロウを探すときにはここもチェックするべきかな、と脳裏に書き込んでおく。
見つかってしまえばしょうがないとでもいうように、クロウは身軽く屋根の上から飛び降りて見せる。
「……ご感想を伺っても?」
最初から見られていたという羞恥から逃避するように、皮肉げに言ってみる。実際、自分が仕掛けた地雷を思いっきり踏み抜いたようなものだが。
「ふーん、聞きたいか?」
にぃ、と口端を吊り上げてクロウが答える。
「是非ご教授願いたいですね、先輩」
実際。
なんど練習してみてもうまくいった実感が得られない現状は袋小路だ。この際自分の恥はかなぐり捨てて、たとえ役に立たなくとも他者の意見を聞くのも必要だろう。
「んー、しかしタダで教えるのもなぁ」
「……帰りにキルシェのコーヒー一杯おごります」
この守銭奴が、と脳裏に過るがこの際目を瞑る。なにせ期限の近い必修科目の可否に関わるかもしれないのだ。
そう考えながら、ふとこの先輩は去年どんな演劇をしたのだろうと思考が逸れる。オリヴァルト皇子なみに堂々とオペラでも歌い切ったんだろうか。想像できるような、難しいような。
「ピザも喰いたい気分だな」
「……はいはい、ピザ追加ですね了解です」
まったく、この先輩は後輩にタカる気しかないんだろうか。じっとりと睨み付ければ、クロウはますます笑みを深くする。
「よーし商談成立、だな」
「……なんか、すっごい不安が増したんですけど」
癖になりかけている溜息とともに、おいていたジャマダハルを手にして構える。
「まぁそう言うな、人生の先輩からの薫陶はありがたがって受けるもんだぞ」
「はいはい」
「あと後輩は先輩に絶対服従な」
「……はいはい」
「はいは一回」
やれやれと受け流すリィンをよそに、クロウは軽く腕を回して、ライラに向き直った。
「悪いが、これ少し借りていいか?」
「学院からの借り物だ。壊さぬように頼む」
「サンクス」
鞘に収まった騎士剣を受け取り、剣の具合を確かめるように鞘ごと数度振って見せる。納得がいったのか、鞘から抜いてリィンの前に立った。
「まずリィン、おまえ馬鹿だろ」
「……は?」
唐突に浴びせられた罵声に、返せたのは疑問ともなんともいいかねる声だけだった。
「あのなぁ、前々から思ってたけど朴念仁にもほどがあるだろうが。Ⅶ組の麗しの女性陣とお芝居だぞ? なんでよりによって悪魔役とか選ぶんだ理解できねえ」
「……はぁ」
そこなのか。まずそこなのか。
それを聞くためにキルシェのプライムコーヒーとスペシャルピザ計1760ミラを支払うのだろうか。
相談する相手を間違えた気がしてくる。
「まぁそれはともかくだな、そのうえ剣舞でただ型を浚うだけってのはねえだろうが、男として」
「はぁ……」
「ちゃんとラウラ嬢をエスコートしろっていってんだよ唐変木」
にっと笑って。
クロウは剣を構える。
「来いよ、リィン・シュバルツァー」
教えてやるよ、という言葉に誘われるまま、リィンはグラウンドの土を蹴った。
見ていただけだ、と言っていたくせに。
責めるような、恨むような気分になるのも仕方がないだろう。
クロウはエマがつけたライラの殺陣の動きを、そのまま再現してくる。体格差からくるライラとのリーチの差をなるべく感じないように剣を短めに持ってまでだ。
普段の得物と違うというのはリィンやラウラもそうだが、導力銃と剣では違いすぎるだろうに小器用な男だと感心する。
「ただ型をなぞるだけじゃ準備運動と変わんねえぞ?」
余裕めいた笑みを浮かべて、剣を振るう。計算されたその動きを、ジャマダハルの刃で凌いで、振りぬかれた隙を刺突で狙う。
ひらりと躱される動きに、脳裏に一瞬なにかの記憶が過った。
それを捕まえようとする意識は、けれどこちらをひたと見据える緋の双眸に絡め取られる。
そういえばラウラと練習していたときは、焦りと型を覚えることに必死でこうして目があった記憶はない。間合いと次の動きにばかり意識が集中していた。
自分の余裕のなさを思い返して苦笑する。子供のころの棒読み演技から相変わらず何一つ進歩していない。
そんなリィンの思考を読んだかのように、よくできましたとばかりに朱の眸が細められる。まだ課題はあるようだけれど、それでも、この男に褒められるのはくすぐったいような嬉しさがこみあげてくる。
踏み込んで、突きを避けられて、けれど実際ならば蹈鞴を踏む場面で身を返す。人形繰めいたそんな動きは、武術としては非合理的だろう。普段はあまり意識しない筋肉が、軋む。
むしろそれは舞踏に属する足運びだ。
唯一覚えているワルツのステップとは違うけれど。閃く刃と刃を合わせ、逸らせて。
流れるように動いていたクロウが、間合いを取ってひたと視線を合わせてくる。
呼吸すら、クロウの支配下に置かれている。
――『踊らされていた』のだと、そうしてようやく気付いた。
「半分外れで半分正解……ま、おまえにしてはいいところだと思うが」
苦笑交じりに、そう告げられて。
一通りの殺陣を終えたことを頭が理解して、ゆっくりと自分の息を吐き出した。
クロウが鞘に納めた騎士剣を、ラウラに返す。
「ありがとう、いいものを見させてもらった」
「それは重畳」
芝居がかった仕草でクロウが一礼する。
「しっかしおまえんとこの委員長何もんだよ? 普通の学生が学校に提出する劇でこんな振付考えるとはなー」
「そんなにすごいんですか?」
あまり観劇の経験もないリィンは、ジャマダハルを置いて首を傾げる。
「すごいすごい、俺が帝国劇場の支配人なら速攻でスカウトに来てるだろうな」
まぁ、だからおまえらの演劇の単位は安泰だろうなと笑う。
Ⅶ組の仲間をほめられて悪い気はしないけれど、それだけの振付をしてもらったうえで、もし自分がうまく演じきれなければエマの評価すら下がるのだろう。
せめてそれだけは避けたい。
気を引き締めて、ことにあたろうと思いを新たにする。
「ま、お前になにが足りないのか、コーヒーとピザ分程度には理解の役にたったんじゃねえ?」
「ああ。ありがとうございますクロウ先輩」
「おう。じゃ、がんばれよ後輩くん」
呼びとめようとしたリィンの声も、手も。素通りしてしまう。
「……マイペースな人だな」
「それでも得難い助言を貰った。精進することとしよう」
クロウのおかげで捉えられたような、けれどまだどこか曖昧な感覚を忘れ去ってしまわないうちに覚えておきたい。
お礼のコーヒーはまた後日でもいいということなのだろう。そう納得して。リィンとラウラは武器を構えて向き合った。
8月17日。
トールズ士官学院の講堂を借りてⅦ組の劇を披露することになった。といっても学院祭でもないし全校生徒やトリスタの人たちの前でというわけではない。
観客席には芸術科目担当のメアリー教官とⅦ組担任のサラ教官、そしてなぜかナイトハルト教官の姿もある。
「いよいよだと思うと緊張するね」
主人公のペドロの衣装を身に纏ったエリオットがそういって笑う。緊張はしていそうだけれど、どこか楽しみにしている雰囲気もあるのは舞台慣れしているせいなんだろうか。
「ああ、気が重いよ」
「気分以上にそれ、重くて暑そうだね」
エリオットの視線に、リィンは苦笑する。
衣装というよりも着ぐるみ、といえるだろうか。赤黒い鎧を纏い背中に紅い翼をもつ悪魔の人形の、衣装。最初から出ずっぱりのエリオットと違い、まだ出番ではないから頭部分の装備はつけてはいないものの、真夏に好んで着たいものではない。
「まぁそれでも、見た目ほどは重くはないかな、意外と動きやすいし」
「そうなんだ。すごいなぁ」
好奇心に目を煌めかせて、エリオットはリィンが着ている着ぐるみをぺたぺたと触る。
可動部分は柔らかな素材で作られていて、軽い鎧を身に着けている感覚で動くことはできる。幾度かこれを着て練習もして確認済みだ。
「もう準備はほぼできているみたいだな、今日もよろしく頼む」
ここ数日で見慣れた青光りする全身鎧姿のラウラが、片手に兜をかかえてにこやかに笑った。彼女の濃紺の髪と蒼騎士の鎧は、まるであつらえたかのように似合っている。
「こちらこそよろしく」
「ラウラが着ると蒼騎士っていうより聖女マリアンヌみたいだね」
「光栄だが、恐れ多いな」
「ラウラのご先祖様の主君だったっけ」
「うん」
わずかに頬を赤らめて困ったようにラウラは笑った。
人形の騎士。
その話は、13歳の少年ペドロが作った小鳥の細工を目にとめた名匠カプリ・オラトリオがペドロを弟子にと誘い故郷を後にするシーンから始まった。
舞台袖から、エリオットとガイウスとフィーの演技を見守る。
劇が始まってしまえばあとは演じ切るだけだ。どきどきと跳ねる鼓動すら心地いい。
人形使いに弟子入りしたペドロは3年後、一体の人形を組み上げる。
青光りする甲冑を纏う人形。
舞台の上では、蒼騎士ラウラと黒衣を纏ったフィーが舞うように戦っている。黒法師が繰り出す突きや蹴りを受け流しつつ反撃する様は、まさに騎士そのもの。
『なんと名付けるつもりだ?』
『それが、何も考えていないんです』
ペドロとカプリ・オラトリオの会話に続けて、エマのナレーションが入る。
『結局、ふさわしい名前を考えているうちに《蒼騎士》とだけ呼ぶようになっていました。都を治める国王が逝去したのは、ペドロが《蒼騎士》を組み上げてしばらく経ってからのことでした。
国王は、長らく病床の身だったので騒ぎも起こらず、しめやかに喪が明けました。
そして定めに従い、1人娘だったティーア姫が女王として即位することが決まりました』
暗転している間にあわただしく演者総出で舞台を入れ替える。
ペドロは蒼騎士を操って悪漢(ちなみにユーシスとマキアスが掛け持ち)からヒロインティーア姫を守り、そうして蒼騎士はティーア姫の依頼で戴冠式までの二週間、姫の護衛として雇われることになる。
そして。
『なんと悪運の強い娘だ!』
蝋燭のゆらめく薄暗い居室。
公爵の衣装がこの上なく似合うユーシスが、舞台上でティーア姫を罵る。
『このまま戴冠式を迎えさせるものか!
ペドロという騎士、なんとか始末できんのか?』
『あれほどの手練は初めてです。近衛騎士団が、束でかかっても難しいかと……』
悔しげに唇をかみしめて、副官役のマキアスが進言する。
『しかし、ご安心あれ。いささか風変わりではございますが腕のたつ暗殺者を雇いましてございます』
『風変わりな暗殺者。いかなる者か?』
『・・・うふふ、呼んだかい?』
アリサの声を合図にしたように、舞台をあでやかに炎が踊って、かき消える。
出番に、リィンは呼吸を整え意識を集中した。
『な、なにやつ!?』
月明かりに浮かんだ影は巨(おお)きく、人のシルエットではあり得ませんでした。
『閣下、ご安心を。件の暗殺者で、ハーレクインといいます。傀儡(くぐつ)を使って仕留めるそうです』
『うふふ、ボクは狩りが大好きなんだ。
活きのいい獲物じゃないと引き受けないよ』
病んだような哄笑が、闇を震わせると公爵もまた、よこしまな笑みを浮かべました。
『安心するがいい。
きっと楽しい狩りになるだろう』
『紅い月影に彩られた夜は蕩けるように、ゆっくりと更けていきました』
「はぁ、緊張するな」
「あなたただ立ってただけじゃない」
舞台転換の暗転の中呟けば、アリサが呆れたように返した。ちなみにアリサはまだセリフだけだ。
「立ってるだけだから余計に緊張するのかもな」
「そんなものかもしれないわね。なら次は大丈夫なんじゃない?」
舞台には、王宮の中庭が再現されている。木陰に置かれたガーデンテーブルの上にはお茶の準備。
この先の展開は、ずっと練習してきた蒼騎士との戦闘シーンだ。確かに立っているだけではないけれど。
「なんか違う緊張があるな」
苦笑して、武器を手に取る。
「よろしく頼むわね、《カラミティ―》」
「御意に」
紅蓮の悪魔の紛争のまま、跪いて見せれば道化師の衣装をまとったアリサは、仮面の下で強気に笑って見せた。
「さあ、行きましょうか」
『あの、おかわりはいかがですか?』
ティーア王女が笑顔でティーポットを手にするのを合図に。
『いいねぇ、ボクにもご馳走してよ?』
『きゃっ・・・』
『なにッ!?』
紅の翼をはためかせ、悪魔姿のリィンが舞台に降り立つ。
『優雅なお茶会も悪くないけどさ。
ボクの遊びにも付き合ってくれない?』
悪魔の左腕には人影がひとつ。
仮面の人形師、ハーレクイン。
『たっぷりと楽しませてあげる』
『ティーア様、下がって!』
ペドロ役のエリオットがティーア姫役のエマをかばうように立ち、蒼騎士がこちらへと走り寄ってふり向きざま、重さをのせた一撃を放ってくる。
剣尖が翼の根元に吸い込まれた刹那、右腕を跳ね上げ刃と爪がこすり合い、火花が散る。
何度も繰り返し体に叩き込んだ動き。そして、強い相手と戦う高揚感に兜の下でリィンとライラは笑いあう。
バランスを崩して、たたらを踏む蒼騎士。追い討ちをかけるように狙った刺突は、舞うように躱される。
『キミ、やるじゃない。
まさか同業者とは思わなかったよ』
ペドロに向かってセリフを口にするハーレクインを遮るように、蒼騎士が人形師に向けて剣を突き付けた。
『何をぶつくさ言っている! 来ないとあらば、こちらから参るぞ?』
この期におよんで、ペドロはシラを切りました。
ティーア姫は、不思議そうな顔をして一連の奇妙なやりとりを眺めていた。
『なーるほど。そういうことか・・・』
人形師は、事情を悟ったようでくすくす笑いました。
『ボクだって野暮じゃない。内緒にしたいのなら黙っててあげる。でもさぁ・・・』
人形師の声音が、黒い響きを帯びました。
『そんな腑抜けた根性でボクの《カラミティ》に勝とうだなんて甘すぎるんだよぉぉぉっっっ!!』
アリサの声に、悪魔人形《カラミティ》が地を蹴って一瞬で間合いを詰める。ペドロの隙をついて、爪で蒼騎士の剣を薙ぎ払った。その勢いをころさぬまま、鎧へと凶爪を立てる。
『くふふ、捕まえた♪』
鉤爪で羽根飾りの兜を鷲掴みにすると蒼騎士の爪先が、大地から離れていく。
『や、やめろぉぉっ!』
『せっかちさんだなぁ。
心配しないでも、返してあげるのに』
紅い悪魔は、蒼騎士を高々と持ち上げペドロに向かって投げ飛ばしました。
『ぐふっ・・・』
『もう、やめてください!』
王女が、大の字に両手を広げて人形師の前に立ちふさがりました。
『この身をあなたに預けます。
そのかわり、これ以上の暴挙は許しません!』
『護衛ごときを、身を挺してかばうの? 泣かせるお姫様じゃないか』
『い、いけません、ティーア様・・・』
『さあ、叔父上の所に連れていきなさい』
『やれやれ、大したお姫様だなぁ。さぞかし立派な女王様になっただろうに』
悪魔は、うやうやしく右腕を差し出す。王女を載せると、紅の翼にしこまれた仕掛けが動いた。
「……はぁ」
「あなたはまだもう少し出番あるんでしょう?」
なに一仕事終えたみたいな顔してるのよ、と責め立てられ、悪魔の兜の下でリィンは苦笑する。
お芝居とはいえクラスメイトの女の子二人を両手に花というのは、それなりにいろいろと思うところがなくもない。
それは置いておいくことにして、一度目の見せるべきことはちゃんと手ごたえを感じていた。
次も失敗しないようにと、リィンは意識を切り替えようと努力してみた。
舞台の上では、人形工房のセットでエリオットとガイウスが次のシーンを演じている。
『師匠、お願いします! 蒼騎士の修理、手伝ってください!』
『お前が戦った仮面の人形師はその道では、悪魔のように恐れられる男だ。
半人前ごときに、太刀打ちはできんぞ?』
師匠の言葉に、エリオットはまっすぐに見つめ返す。
『それでも、やります。僕を信じてくれた人のために!』
すると、得たりとばかりにカプリは莞爾と笑った。
『それは、戴冠式の前日のこと。
おりしも王宮は、王女失踪の報せに上へ下への大騒ぎになっていました』
深紅の絨毯敷きの、贅を尽くした部屋。
舞台は再び郊外にあるガストン公爵の屋敷へと戻る。
『いいザマだな、ティーア』
『今日の戴冠式、どうするおつもりですか?』
『そなたには欠席してもらう。そして、第2王位継承者たる私に冠と杖が授けられるというわけだ』
『民が納得するとお思いですか?』
『話が変わるが、ティーアよ。そなたの嫁ぎ先を決めてやったぞ。帝国の第2皇子で、なかなかの良縁だ。後事は私にまかせ、そなたは新たに女としての幸せを掴むがよかろう』
第1王位継承者たる王女の代わりに公爵が即位するのは、たしかに通らぬ道理。
しかし王女が嫁ぐとあれば話は別。
ガストン公爵の即位は、既成事実としてまかり通ってしまう。
『閣下、そろそろ時間です』
副官の促しに、公爵は立ち上がった。
『毎日の襲撃続きで、さぞ疲れただろう。そなたは、ゆっくりと休んでいるがいい』
『ぬけぬけと、恥知らずに言って公爵は部屋を出ていこうとしました。
その時――』
『そうはいかない!』
けたたましい衝撃音と共に舞台に現れたのは、しなやかな豹のように窓から滑り込んできたのは蒼い甲冑を身につけた、長身の騎士。
そして、帽子をかぶった小柄な少年。
『ティーア様、すみません。ちょっと遅れてしまいました』
『ペドロ様……やっぱり、来てくださいましたね』
一方、公爵の副官は、こっそりと縛られた王女の背後に忍び寄っていた。
副官が、王女の肩に手をのばした時。
『ふごっ!?』
哀れな副官は蒼騎士の平手打ちをくらって壁に激突して気絶しました。
『そ、そんな出鱈目な……』
真っ青になったガストン公爵は転がるように退場する。
『ティーア様、急ぎましょう!
もうすぐ戴冠式が始まります!』
『はい!』
屋敷を脱出して、公爵を追いかける2人。
しかし、緋色の陰がその行く手を遮る。
『悪いけど、邪魔させてもらうよ。人形師は信用が1番だからね、うふふ』
仕事とは思えぬ楽しげな口調。
仮面の人形師、ハーレクインと紅い悪魔人形《カラミティ》だ。
交わりあう白刃と凶爪。
めまぐるしく入れ替わる赤と青。
《蒼騎士》と刃を交わしながら、リィンは拭いきれない違和感を覚えていた。
『へえ、動きが良くなったね。バラバラに壊してやったのに1日で元どおりにするなんてね。爺さんも、いい弟子をとったじゃない』
『あんた、師匠の知り合いなのか?』
『昔、ちょっとした因縁があってね』
仮面からのぞく唇が、笑みを刻む。
紅い悪魔が仁王立ちになった刹那、巨大な顎(あぎと)から真紅の火球がほとばしった。
あたり一面に立ち上る火柱。
蒼騎士とペドロ、そしてティーア姫の姿は灼熱の中に呑み込まれて消えた。
『ちぇっ、これで終わりか――少しもったいないことしたかな?』
燃え広がる火勢を眺めながらハーレクインは、残念そうに呟いた。
しかし、すぐに訝しげに目を細める。
肉の焦げる匂い、鋼の煤けた匂いがまったく漂ってこない。
『まさかッ!?』
灼熱の紅蓮を吹き飛ばすように、一陣の蒼い旋風が巻き上がる。
炎の中から立ち上がる蒼騎士。
その肩越しに、ペドロと王女が元気な姿を覗かせている。
荒ぶる炎を吹き飛ばしたもの。
それは、両手持ちの大剣。
幅広の刃を、風車のごとく回転させると蒼騎士の頭上に、火炎の蝶が舞い散る。
それは、あまりに幻想的な光景で。
リィンは悪魔の仮面の下で、目を見開いた。
――これは、誰だ?
自問に対する答えは、帰ってはこない。
わかるのは、これはライラではない、ということ。
何故だ? 一度目に、王宮の中庭のシーンで剣を合わせたときには確かにライラの動きだった。
それなのに今、炎の中から現れた騎士は彼女ではありえない。立ち姿も、気配も。大剣の扱いも。何もかも違う。
蒼騎士が紅蓮を掻き分けカラミティに迫る。
避けたはずの切っ先は、悪魔人形の背中の紅い翼の根本へと吸い込まれた。どさり、と床に落ちる紅い翼。
けれど。
――クロウ!?
顔は兜で隠されている。セリフがなければ声で判断することもできない。けれど、一度とはいえ、自分はその動きを目にしているのだ。
見間違えるはずもない。
けれど、そうだとしてもなぜ? という疑問は解消しない。彼がここにいる理由なんて、思いつかない。
茫然と見つめることしかできず。ただ脳裏に過ったのは。ライラはどうしたのかという焦り。
仮面越しに、クロウだと半ば確信している蒼騎士と視線が絡み合ったと思った瞬間。
ずくり、と。
胸の痣が疼いた気がした。
「……ア」
視界が、紅く染まる。
型も、殺陣も。脳裏から消え失せる。うちから湧き上がる破壊衝動のままに、蒼騎士へと斬りかかった。
「……っ」
息苦しさに、もがく。
「落ち着け」
引き寄せられ、兜越しに囁かれたのはやはり、クロウの声だ。
「誰も傷ついてない、安心しろ」
誰も?
本当に?
ならば、なぜラウラではなくクロウがここにこの姿でいるのか。
問いたいことも、言いたいことも、山のようにあるのに。喉は言葉を忘れたかのように獣めいた唸りしか上げることができない。
縋りつきたくても、凶爪の悪魔の手で誰に縋ればいい?
「大丈夫だ」
掴まれ、投げられる。受け身を取り損ね強かに背中を打ち付けたせいで、一瞬呼吸を忘れた。
「……グ、……ッ……」
そのまま、喉元を押さえつけられる。蒼い鎧騎士を跳ねのけようと思うよりも、視界が明滅するほうが早かった。
落ちる、と理解する前に。強引に意識が闇へと放り込まれる。
「……っ」
最初に視界に入ったのは、見慣れない天井だった。それと、視界の端に銀灰色。
遠く――いや、意外と近いのか、みんなの声が聞こえる。
「起きたな、よし」
紅蓮の悪魔《カラミティ―》の兜と着ぐるみは脱がされている。銀髪が見えてるってことはクロウも蒼騎士の衣装はもう脱いでいるんだろう。
ぼんやりと視線だけめぐらせれば、クロウが気まり悪そうな笑みを浮かべる。
「あー、うん。まず何から聞きたい?」
「全部」
「おいおい、……ま、そうだろうけどな」
クロウが僅かに視線をそらし、悩むように右手で首筋を押さえる。ようやく納得がいったのか、そのまま左手を一度振って、指を一本折った。
「まずは俺がいる理由はだな、俺も演劇の単位落としてて、サラ教官がおまえらの劇に出れば単位くれるっていうから」
「クロウ先輩……単位落としてたのに偉そうに指導してくれてたんですか」
「言うな。俺だってなぁ……」
明かされた理由に、苦笑する。
いかにもクロウらしいとも思うけれど。
そして二つ目。
「で。おまえなんかアレになってたから、焦って落とした。わりぃ、どっか痛むとかおかしいとこないか?」
「正直別の理由で胃が痛いけど、まぁ慣れてるから大丈夫だ」
ユン老師の元で修業していたころはよく落とされたし。
「あとは、……芝居はもうラストシーンだな」
ひょい、と手で示された視線の先。聞こえていた声は、舞台で演じているⅦ組の仲間の声だったらしい。
「ちなみにラウラ嬢がちゃんと蒼騎士やってるから安心しな」
舞台の上で、楽しげに話すペドロとティーア姫を、守るように佇んでいるのは確かにラウラだった。
「……ある意味、クロウ先輩があのとき蒼騎士やっててくれて助かったんだな」
もしラウラ相手に、あの獣の力で襲いかかっていたならば。どうなっていたのか。
そもそもなぜあの瞬間に覚醒したのかもわからないけれど。
「あー、まぁ俺は一回見てたしなー」
「感謝してる」
思ったまま告げれば、クロウはかすかに目を見開き、口元を歪めた。
「まぁコーヒーとピザ分だ」
「そういやこの前のお礼もまだでしたっけ。クロウ先輩、この後時間あります?」
ゆっくりと身を起こして、感覚を確かめるように手を握ったり開いたりしてみる。取り立てて違和感はない。
「あぁ……でも、俺単位取れるのかな」
舞台の途中で気絶するなんて失態を犯して、それで単位をくれるほどには士官学院は甘くはない。
「ま、駄目なら駄目で残念会でもいいんじゃないか?」
「……クロウ先輩が言うと、なんか洒落に聞こえません」
「まぁもともとあそこで紅蓮の悪魔は負けて退場だったし、最初のパートの出来もよかったしたぶん大丈夫だろ」
「だと、助かるんですが」
多分、他のⅦ組のみんなにも心配をかけた。あとで謝らないとと考える。
「まあ、教官たちには見えてただろうがⅦ組の奴らにはおまえが一瞬消えたようにしかみえなかったんじゃないか?」
「そうやって俺の考え読むのやめてください」
そんなにストレートに考えていることが顔に出る性質ではないほうだと思う。何を考えているかわからないとも言われるし。
あっさりと言い当てられた気恥ずかしさを逃がすように、半眼で睨み付けた。
「へいへい、すまんな」
「謝るのもやめてください、別にクロウ先輩のせいじゃないですし」
「あのなぁ、じゃあ俺にどうしろっていうんだよ?」
「とりあえず後でキルシェでコーヒーとピザ食べてください」
「強制!? お礼とお代じゃなかったのかよ」
「お礼ですよ」
リィンの視線の先で、舞台を終わらせたⅦ組の仲間たちが、教官とともに舞台袖へと駆けてくる。
「よかったー目が覚めたんだね」
「一瞬消えたかと思ったら最後の最後で伸びてるんですもの……まったく、もう少し気をつけなさいよね」
口々に心配の言葉をくれるクラスメイトに、目を細める。
クロウが言っていたとおり、舞台上でのリィンとクロウのやりとりは至近距離で見ていたはずのエリオットやアリサは気づかなかったらしい。
「心配かけてごめん、ありがとう。もう大丈夫だから」
苦笑しながら、手を振って無事をアピールしてみる。
「そう? ならいいけど」
「みなさんお疲れ様でした。では採点は後程お渡ししますね」
にこやかなメアリー教官の笑顔に恐ろしさを感じて、無意識に一歩下がる。その背中に固いものが当たって振り返れば、いつのまに背後を取られたのかクロウの横顔がひどく近くにあって、わけもわからず焦る。
「お疲れ様、あ、クロウはあとで一度職員室に来て頂戴」
「はぁ」
気のない返事を返して、クロウは視線をリィンに合わせた。
「悪い、今日は予定入っちまったから『また明日』、な」
「教官からの呼び出しなら仕方ないですよ。また何かしたんですか?」
「あのなぁ、おまえはいったい俺をなんだと思っていやがるんだ」
「クロウ先輩」
思ったことをそのまま返せば、クロウは苦笑する。
「……まったく、かなわん」
何がだろうと首を傾げる。
むしろ、あの獣の力を使ったうえであっさりと投げ飛ばされたリィンの方がクロウにはかなわないということを思い知らされたところだというのに。
「いや、こっちの話だ」
にやりと笑って煙に巻かれてしまう。ここで食い下がったところで、応えは得られないだろう。納得はいかないものの、我儘を口にする気もない。
「じゃあ、また明日」
約束を、口にすれば。クロウは笑みを歪めた。
「そう、演劇必修だよ? うちの学院」
リィン知らなかったの? と訊ねるエリオットに茫然と頷いた。
八月上旬。
帝都での実習を終えたⅦ組の面々は、トールズ士官学校に帰還した。街路樹は青々と生い茂り、空には幾重にも盛り上がった入道雲と太陽が存在を主張している。トリスタの第三学生寮から学院までの道を、早朝だというのにじりじりと肌を焼きつける日差しを避けるように木陰を歩く。
「うちも一応士官学校だからね。四割とはいえ軍に入ったら尉官なわけだし、部下を鼓舞するのにも役立つってことで昔から必須。うちの学校が音楽教育にも熱心なのもその理由もあるんじゃないかな」
「へぇ、そうなんだ。オリヴァルト皇子とか、得意そうだよな。主席だっけ」
帝都での特別実習でであった皇族のことを思い出す。
「皇子はオペラ座の出演経験もあるって聞いたよ。あの人は別格なんじゃないかな」
本人はただ音楽に触れていたいという欲求で選んだ進路だったけれど、実際の軍における音楽隊というものの存在は大切だ。
それにしても、演劇か。
「……俺、演技なんて日曜学校の生誕祭くらいでしかやったことないんだけどな」
思い返してみて嘆息する。うまくやれた記憶はない。ひどく緊張して上擦った声で必死に覚えたセリフを棒読みで言っていた幼少時を思い出すと、気恥ずかしさに顔が熱を持つ。
「うん、僕もリィンの場合はお芝居より本音で激励するほうが似合ってると思う」
「それでも必修科目は必修科目だしな……演技かぁ」
「うちのクラスは特別実習で結構日数押してたからね。他のクラスはもう終わったらしいから僕たちもがんばらないと」
「そうだな」
ぐっと拳を握りしめて気合を入れているエリオットに、頷いた。
本校舎二階のⅦ組の教室。机の上には、図書館から借りてきた数冊の本が無造作に積まれている。
「やっぱり人形の騎士、かなぁ」
「お話は好きだけど一週間で仕上げるにはちょっと難しいんじゃないかしら」
「人形の騎士ならティーア姫はユーシスだな」
「ちょっとまて、どうしてそうなる」
「空色の眸なのはお前しかいないだろう」
「エマも青だろうが!」
「委員長は空色というより青灰色なイメージが」
「ならガイウス」
「ユーシス……おまえはガイウスの姫姿が見たいのか?」
「俺カラミティがいいな、セリフないし立ち回りだけでいいんだろ?」
取り留めのない話で議論が空転する。
「はぁ……とりあえず人形の騎士は一時保留にして他にも考えてみよう」
そんなリィンの言葉に、エリオットが本の山から一冊を取る。
「白き花のマドリガルは?」
「登場人物少なくないか?」
「そっかぁ……なるべくみんなが演じられてなおかつそれほど長くなく内容も面白いものってなるとなかなか難しいよね」
本を机に並べてみる。
人形の騎士、白き花のマドリガル、カーネリア。陽溜まりのアニエスに金の太陽銀の月。マルクと深き森の魔女、三つの腕輪。
「うーん、この中でⅦ組でできそうなのってカーネリアかな。役の数と人数も合うし」
「紅い月のローゼは? あれ好きなんだけど」
「ローゼはまだ発刊継続中でお芝居にするには難しそうだよ。ストーリー捏造する手もなくはないけど今回はそこまで時間的猶予がないから難しいと思う」
「賭博士ジャックとか闇医者グレンや詐欺師フロードの華麗なる冒険も面白いけど『わたしたちが演じる』のには無理があるね……おっさんいないし」
話し合いの結果、カーネリアと保留中の人形の騎士の二つに絞り込む。
「シスター服ってなんかいいよな、清楚で」
「しかもシスターカーネリアはシスター服にハイヒールだし、なんかいいよな」
17歳の少年らしいそんな感想を言い合っていい笑顔で頷き合うリィンとマキアス。
「そうね……人形の騎士にしましょう」
「ええっ!? なんでだ」
珍しくあからさまにがっかりするリィンを、アリサがじっとりと睨み付ける。こうなった彼女を説得する術を、リィンは持ち合わせてはいなかった。
「……わかった、人形の騎士で決定しよう。配役はどうするんだ? 俺としては女装ティーア姫には反対させてもらう」
睨まれる理由をわかっていないままに、とりあえず話を進めていく。
結局主役のペドロはエリオット、ティーア姫はエマ、蒼騎士をライラ、名匠カプリ・オラトリオをガイウス、黒法師をフィー、仮面の人形師ハーレクインをアリサ、赤い悪魔人形カラミティ―をリィン、公爵をユーシス、その副官をマキアスが演じることでなんとか配役は落着いた。
「悪役か……おもしろい」
「なんでこんな奴の部下……」
「衣装はどうするんだ?」
「人形の騎士は結構みんながよく演じるから、衣装や小道具や鎧は揃ってるって話だよ。講堂の倉庫にあるんじゃないかな」
「じゃあサラ教官に相談して、先に衣装も合わせてみようか。サイズが合わなかったら場合、時間もないから配役自体変える方がいいし」
「脚本はどうしようか」
「あ、じゃあ私が脚本と演出もやりましょうか」
「ああ、頼む」
文芸部に所属しているエマの立候補をありがたく受ける。そうしてなんだかんだと必修単位の演劇の準備は進んでいった。
授業や部活動の合間に劇の練習をする。セリフ合わせは教室でエマの書いた台本を片手にすることもできるが、殺陣ともなるとそうもいかない。
ギムナジウムかグラウンド、旧校舎を借りてラウラと剣を合わせる。
互いに手にしている武器は、本来の得物とは違っている。ラウラは大剣ではなく騎士剣を。リィンは太刀ではなくジャマダハル。
武器の違いはリィンとラウラにとってはそれほど大きな問題ではなかった。
ただどうしても二人で動けばそれは見た目には模擬戦とかわらない組手状態になってしまう。
『魅せる』よう意識してしまうと途端にどうすればいいのかわからなくなる。
「想像してた以上に難しいもんだな」
他の生徒の邪魔にならないようグランドの体育倉庫の陰で、一通り練習してみてリィンは溜息を吐いた。
「うん、動き自体はできている筈なのだが……」
ラウラも騎士剣の刃を見つめながら秀麗な眉根を寄せる。
「間合いも合ってる……よな」
あまり得意な分野ではないから、確証が持てない。
指示された通りに動くことは二人ともできている。そもそも戦闘に関してはラウラは図抜けているのだ。
けれどそれだけでは、圧倒的に何かが足りない。
「フィーはこういうの意外と得意なんだな」
おなじ人形役の少女は、元の本では大男だという設定とは裏腹の小柄さながら、演じるということにはリィンとラウラよりも長けていた。
意外と、という言葉は飲み込む。戦場では『はったり』も必要だったから、と淡々と呟いていた銀髪の少女を思い起こせば、それは元々の気質よりも、必要だったから得た技能だとも思える。
それは経験、と言い換えることもできるだろうか。
ならば、年下のフィーが容易くこなすことを、こうしてできない己の、経験不足と努力不足を思い知らされるばかりで。
知らず、焦る。
「私もまだまだ未熟だと思い知らされる。後から思い返していい経験だった思えるようにありたいのだが、な」
珍しく苦笑を浮かべてライラは騎士剣を鞘に納めた。
「さて……観客なしに芝居などしてもつまらぬが、盗み見というのもあまり性質がよくないのではないか?」
琥珀の双眸を細めて、ライラが見やる方へとリィンも視線を向けた。
体育倉庫の屋根の上。そこに見慣れた緑の制服を見つけて、わずかに目を見張る。
「いやー、別に覗き見してたってわけじゃないんだが……がんばってる青少年を微笑ましく見てただけでだな」
きまり悪げにぶつぶつと言い訳めいたことを呟く銀髪にバンダナ姿の先輩に、思わず苦笑する。
「いつから見てたんですか、クロウ先輩」
「おまえらが来る前から俺はここにいたんだが」
「……普通、そんな場所に上りませんよね?」
「おまえ知らねえのか? ちょうどいい隠れ場所の一つなんだぜ、ここ」
通常の学院生活を送るうえでは確実に必要ない知識がまた一つ増える。そもそも、体育倉庫の屋根だと本校舎屋上から見渡せばすぐに見つかりそうなものだが。トワ会長の手伝いでクロウを探すときにはここもチェックするべきかな、と脳裏に書き込んでおく。
見つかってしまえばしょうがないとでもいうように、クロウは身軽く屋根の上から飛び降りて見せる。
「……ご感想を伺っても?」
最初から見られていたという羞恥から逃避するように、皮肉げに言ってみる。実際、自分が仕掛けた地雷を思いっきり踏み抜いたようなものだが。
「ふーん、聞きたいか?」
にぃ、と口端を吊り上げてクロウが答える。
「是非ご教授願いたいですね、先輩」
実際。
なんど練習してみてもうまくいった実感が得られない現状は袋小路だ。この際自分の恥はかなぐり捨てて、たとえ役に立たなくとも他者の意見を聞くのも必要だろう。
「んー、しかしタダで教えるのもなぁ」
「……帰りにキルシェのコーヒー一杯おごります」
この守銭奴が、と脳裏に過るがこの際目を瞑る。なにせ期限の近い必修科目の可否に関わるかもしれないのだ。
そう考えながら、ふとこの先輩は去年どんな演劇をしたのだろうと思考が逸れる。オリヴァルト皇子なみに堂々とオペラでも歌い切ったんだろうか。想像できるような、難しいような。
「ピザも喰いたい気分だな」
「……はいはい、ピザ追加ですね了解です」
まったく、この先輩は後輩にタカる気しかないんだろうか。じっとりと睨み付ければ、クロウはますます笑みを深くする。
「よーし商談成立、だな」
「……なんか、すっごい不安が増したんですけど」
癖になりかけている溜息とともに、おいていたジャマダハルを手にして構える。
「まぁそう言うな、人生の先輩からの薫陶はありがたがって受けるもんだぞ」
「はいはい」
「あと後輩は先輩に絶対服従な」
「……はいはい」
「はいは一回」
やれやれと受け流すリィンをよそに、クロウは軽く腕を回して、ライラに向き直った。
「悪いが、これ少し借りていいか?」
「学院からの借り物だ。壊さぬように頼む」
「サンクス」
鞘に収まった騎士剣を受け取り、剣の具合を確かめるように鞘ごと数度振って見せる。納得がいったのか、鞘から抜いてリィンの前に立った。
「まずリィン、おまえ馬鹿だろ」
「……は?」
唐突に浴びせられた罵声に、返せたのは疑問ともなんともいいかねる声だけだった。
「あのなぁ、前々から思ってたけど朴念仁にもほどがあるだろうが。Ⅶ組の麗しの女性陣とお芝居だぞ? なんでよりによって悪魔役とか選ぶんだ理解できねえ」
「……はぁ」
そこなのか。まずそこなのか。
それを聞くためにキルシェのプライムコーヒーとスペシャルピザ計1760ミラを支払うのだろうか。
相談する相手を間違えた気がしてくる。
「まぁそれはともかくだな、そのうえ剣舞でただ型を浚うだけってのはねえだろうが、男として」
「はぁ……」
「ちゃんとラウラ嬢をエスコートしろっていってんだよ唐変木」
にっと笑って。
クロウは剣を構える。
「来いよ、リィン・シュバルツァー」
教えてやるよ、という言葉に誘われるまま、リィンはグラウンドの土を蹴った。
見ていただけだ、と言っていたくせに。
責めるような、恨むような気分になるのも仕方がないだろう。
クロウはエマがつけたライラの殺陣の動きを、そのまま再現してくる。体格差からくるライラとのリーチの差をなるべく感じないように剣を短めに持ってまでだ。
普段の得物と違うというのはリィンやラウラもそうだが、導力銃と剣では違いすぎるだろうに小器用な男だと感心する。
「ただ型をなぞるだけじゃ準備運動と変わんねえぞ?」
余裕めいた笑みを浮かべて、剣を振るう。計算されたその動きを、ジャマダハルの刃で凌いで、振りぬかれた隙を刺突で狙う。
ひらりと躱される動きに、脳裏に一瞬なにかの記憶が過った。
それを捕まえようとする意識は、けれどこちらをひたと見据える緋の双眸に絡め取られる。
そういえばラウラと練習していたときは、焦りと型を覚えることに必死でこうして目があった記憶はない。間合いと次の動きにばかり意識が集中していた。
自分の余裕のなさを思い返して苦笑する。子供のころの棒読み演技から相変わらず何一つ進歩していない。
そんなリィンの思考を読んだかのように、よくできましたとばかりに朱の眸が細められる。まだ課題はあるようだけれど、それでも、この男に褒められるのはくすぐったいような嬉しさがこみあげてくる。
踏み込んで、突きを避けられて、けれど実際ならば蹈鞴を踏む場面で身を返す。人形繰めいたそんな動きは、武術としては非合理的だろう。普段はあまり意識しない筋肉が、軋む。
むしろそれは舞踏に属する足運びだ。
唯一覚えているワルツのステップとは違うけれど。閃く刃と刃を合わせ、逸らせて。
流れるように動いていたクロウが、間合いを取ってひたと視線を合わせてくる。
呼吸すら、クロウの支配下に置かれている。
――『踊らされていた』のだと、そうしてようやく気付いた。
「半分外れで半分正解……ま、おまえにしてはいいところだと思うが」
苦笑交じりに、そう告げられて。
一通りの殺陣を終えたことを頭が理解して、ゆっくりと自分の息を吐き出した。
クロウが鞘に納めた騎士剣を、ラウラに返す。
「ありがとう、いいものを見させてもらった」
「それは重畳」
芝居がかった仕草でクロウが一礼する。
「しっかしおまえんとこの委員長何もんだよ? 普通の学生が学校に提出する劇でこんな振付考えるとはなー」
「そんなにすごいんですか?」
あまり観劇の経験もないリィンは、ジャマダハルを置いて首を傾げる。
「すごいすごい、俺が帝国劇場の支配人なら速攻でスカウトに来てるだろうな」
まぁ、だからおまえらの演劇の単位は安泰だろうなと笑う。
Ⅶ組の仲間をほめられて悪い気はしないけれど、それだけの振付をしてもらったうえで、もし自分がうまく演じきれなければエマの評価すら下がるのだろう。
せめてそれだけは避けたい。
気を引き締めて、ことにあたろうと思いを新たにする。
「ま、お前になにが足りないのか、コーヒーとピザ分程度には理解の役にたったんじゃねえ?」
「ああ。ありがとうございますクロウ先輩」
「おう。じゃ、がんばれよ後輩くん」
呼びとめようとしたリィンの声も、手も。素通りしてしまう。
「……マイペースな人だな」
「それでも得難い助言を貰った。精進することとしよう」
クロウのおかげで捉えられたような、けれどまだどこか曖昧な感覚を忘れ去ってしまわないうちに覚えておきたい。
お礼のコーヒーはまた後日でもいいということなのだろう。そう納得して。リィンとラウラは武器を構えて向き合った。
8月17日。
トールズ士官学院の講堂を借りてⅦ組の劇を披露することになった。といっても学院祭でもないし全校生徒やトリスタの人たちの前でというわけではない。
観客席には芸術科目担当のメアリー教官とⅦ組担任のサラ教官、そしてなぜかナイトハルト教官の姿もある。
「いよいよだと思うと緊張するね」
主人公のペドロの衣装を身に纏ったエリオットがそういって笑う。緊張はしていそうだけれど、どこか楽しみにしている雰囲気もあるのは舞台慣れしているせいなんだろうか。
「ああ、気が重いよ」
「気分以上にそれ、重くて暑そうだね」
エリオットの視線に、リィンは苦笑する。
衣装というよりも着ぐるみ、といえるだろうか。赤黒い鎧を纏い背中に紅い翼をもつ悪魔の人形の、衣装。最初から出ずっぱりのエリオットと違い、まだ出番ではないから頭部分の装備はつけてはいないものの、真夏に好んで着たいものではない。
「まぁそれでも、見た目ほどは重くはないかな、意外と動きやすいし」
「そうなんだ。すごいなぁ」
好奇心に目を煌めかせて、エリオットはリィンが着ている着ぐるみをぺたぺたと触る。
可動部分は柔らかな素材で作られていて、軽い鎧を身に着けている感覚で動くことはできる。幾度かこれを着て練習もして確認済みだ。
「もう準備はほぼできているみたいだな、今日もよろしく頼む」
ここ数日で見慣れた青光りする全身鎧姿のラウラが、片手に兜をかかえてにこやかに笑った。彼女の濃紺の髪と蒼騎士の鎧は、まるであつらえたかのように似合っている。
「こちらこそよろしく」
「ラウラが着ると蒼騎士っていうより聖女マリアンヌみたいだね」
「光栄だが、恐れ多いな」
「ラウラのご先祖様の主君だったっけ」
「うん」
わずかに頬を赤らめて困ったようにラウラは笑った。
人形の騎士。
その話は、13歳の少年ペドロが作った小鳥の細工を目にとめた名匠カプリ・オラトリオがペドロを弟子にと誘い故郷を後にするシーンから始まった。
舞台袖から、エリオットとガイウスとフィーの演技を見守る。
劇が始まってしまえばあとは演じ切るだけだ。どきどきと跳ねる鼓動すら心地いい。
人形使いに弟子入りしたペドロは3年後、一体の人形を組み上げる。
青光りする甲冑を纏う人形。
舞台の上では、蒼騎士ラウラと黒衣を纏ったフィーが舞うように戦っている。黒法師が繰り出す突きや蹴りを受け流しつつ反撃する様は、まさに騎士そのもの。
『なんと名付けるつもりだ?』
『それが、何も考えていないんです』
ペドロとカプリ・オラトリオの会話に続けて、エマのナレーションが入る。
『結局、ふさわしい名前を考えているうちに《蒼騎士》とだけ呼ぶようになっていました。都を治める国王が逝去したのは、ペドロが《蒼騎士》を組み上げてしばらく経ってからのことでした。
国王は、長らく病床の身だったので騒ぎも起こらず、しめやかに喪が明けました。
そして定めに従い、1人娘だったティーア姫が女王として即位することが決まりました』
暗転している間にあわただしく演者総出で舞台を入れ替える。
ペドロは蒼騎士を操って悪漢(ちなみにユーシスとマキアスが掛け持ち)からヒロインティーア姫を守り、そうして蒼騎士はティーア姫の依頼で戴冠式までの二週間、姫の護衛として雇われることになる。
そして。
『なんと悪運の強い娘だ!』
蝋燭のゆらめく薄暗い居室。
公爵の衣装がこの上なく似合うユーシスが、舞台上でティーア姫を罵る。
『このまま戴冠式を迎えさせるものか!
ペドロという騎士、なんとか始末できんのか?』
『あれほどの手練は初めてです。近衛騎士団が、束でかかっても難しいかと……』
悔しげに唇をかみしめて、副官役のマキアスが進言する。
『しかし、ご安心あれ。いささか風変わりではございますが腕のたつ暗殺者を雇いましてございます』
『風変わりな暗殺者。いかなる者か?』
『・・・うふふ、呼んだかい?』
アリサの声を合図にしたように、舞台をあでやかに炎が踊って、かき消える。
出番に、リィンは呼吸を整え意識を集中した。
『な、なにやつ!?』
月明かりに浮かんだ影は巨(おお)きく、人のシルエットではあり得ませんでした。
『閣下、ご安心を。件の暗殺者で、ハーレクインといいます。傀儡(くぐつ)を使って仕留めるそうです』
『うふふ、ボクは狩りが大好きなんだ。
活きのいい獲物じゃないと引き受けないよ』
病んだような哄笑が、闇を震わせると公爵もまた、よこしまな笑みを浮かべました。
『安心するがいい。
きっと楽しい狩りになるだろう』
『紅い月影に彩られた夜は蕩けるように、ゆっくりと更けていきました』
「はぁ、緊張するな」
「あなたただ立ってただけじゃない」
舞台転換の暗転の中呟けば、アリサが呆れたように返した。ちなみにアリサはまだセリフだけだ。
「立ってるだけだから余計に緊張するのかもな」
「そんなものかもしれないわね。なら次は大丈夫なんじゃない?」
舞台には、王宮の中庭が再現されている。木陰に置かれたガーデンテーブルの上にはお茶の準備。
この先の展開は、ずっと練習してきた蒼騎士との戦闘シーンだ。確かに立っているだけではないけれど。
「なんか違う緊張があるな」
苦笑して、武器を手に取る。
「よろしく頼むわね、《カラミティ―》」
「御意に」
紅蓮の悪魔の紛争のまま、跪いて見せれば道化師の衣装をまとったアリサは、仮面の下で強気に笑って見せた。
「さあ、行きましょうか」
『あの、おかわりはいかがですか?』
ティーア王女が笑顔でティーポットを手にするのを合図に。
『いいねぇ、ボクにもご馳走してよ?』
『きゃっ・・・』
『なにッ!?』
紅の翼をはためかせ、悪魔姿のリィンが舞台に降り立つ。
『優雅なお茶会も悪くないけどさ。
ボクの遊びにも付き合ってくれない?』
悪魔の左腕には人影がひとつ。
仮面の人形師、ハーレクイン。
『たっぷりと楽しませてあげる』
『ティーア様、下がって!』
ペドロ役のエリオットがティーア姫役のエマをかばうように立ち、蒼騎士がこちらへと走り寄ってふり向きざま、重さをのせた一撃を放ってくる。
剣尖が翼の根元に吸い込まれた刹那、右腕を跳ね上げ刃と爪がこすり合い、火花が散る。
何度も繰り返し体に叩き込んだ動き。そして、強い相手と戦う高揚感に兜の下でリィンとライラは笑いあう。
バランスを崩して、たたらを踏む蒼騎士。追い討ちをかけるように狙った刺突は、舞うように躱される。
『キミ、やるじゃない。
まさか同業者とは思わなかったよ』
ペドロに向かってセリフを口にするハーレクインを遮るように、蒼騎士が人形師に向けて剣を突き付けた。
『何をぶつくさ言っている! 来ないとあらば、こちらから参るぞ?』
この期におよんで、ペドロはシラを切りました。
ティーア姫は、不思議そうな顔をして一連の奇妙なやりとりを眺めていた。
『なーるほど。そういうことか・・・』
人形師は、事情を悟ったようでくすくす笑いました。
『ボクだって野暮じゃない。内緒にしたいのなら黙っててあげる。でもさぁ・・・』
人形師の声音が、黒い響きを帯びました。
『そんな腑抜けた根性でボクの《カラミティ》に勝とうだなんて甘すぎるんだよぉぉぉっっっ!!』
アリサの声に、悪魔人形《カラミティ》が地を蹴って一瞬で間合いを詰める。ペドロの隙をついて、爪で蒼騎士の剣を薙ぎ払った。その勢いをころさぬまま、鎧へと凶爪を立てる。
『くふふ、捕まえた♪』
鉤爪で羽根飾りの兜を鷲掴みにすると蒼騎士の爪先が、大地から離れていく。
『や、やめろぉぉっ!』
『せっかちさんだなぁ。
心配しないでも、返してあげるのに』
紅い悪魔は、蒼騎士を高々と持ち上げペドロに向かって投げ飛ばしました。
『ぐふっ・・・』
『もう、やめてください!』
王女が、大の字に両手を広げて人形師の前に立ちふさがりました。
『この身をあなたに預けます。
そのかわり、これ以上の暴挙は許しません!』
『護衛ごときを、身を挺してかばうの? 泣かせるお姫様じゃないか』
『い、いけません、ティーア様・・・』
『さあ、叔父上の所に連れていきなさい』
『やれやれ、大したお姫様だなぁ。さぞかし立派な女王様になっただろうに』
悪魔は、うやうやしく右腕を差し出す。王女を載せると、紅の翼にしこまれた仕掛けが動いた。
「……はぁ」
「あなたはまだもう少し出番あるんでしょう?」
なに一仕事終えたみたいな顔してるのよ、と責め立てられ、悪魔の兜の下でリィンは苦笑する。
お芝居とはいえクラスメイトの女の子二人を両手に花というのは、それなりにいろいろと思うところがなくもない。
それは置いておいくことにして、一度目の見せるべきことはちゃんと手ごたえを感じていた。
次も失敗しないようにと、リィンは意識を切り替えようと努力してみた。
舞台の上では、人形工房のセットでエリオットとガイウスが次のシーンを演じている。
『師匠、お願いします! 蒼騎士の修理、手伝ってください!』
『お前が戦った仮面の人形師はその道では、悪魔のように恐れられる男だ。
半人前ごときに、太刀打ちはできんぞ?』
師匠の言葉に、エリオットはまっすぐに見つめ返す。
『それでも、やります。僕を信じてくれた人のために!』
すると、得たりとばかりにカプリは莞爾と笑った。
『それは、戴冠式の前日のこと。
おりしも王宮は、王女失踪の報せに上へ下への大騒ぎになっていました』
深紅の絨毯敷きの、贅を尽くした部屋。
舞台は再び郊外にあるガストン公爵の屋敷へと戻る。
『いいザマだな、ティーア』
『今日の戴冠式、どうするおつもりですか?』
『そなたには欠席してもらう。そして、第2王位継承者たる私に冠と杖が授けられるというわけだ』
『民が納得するとお思いですか?』
『話が変わるが、ティーアよ。そなたの嫁ぎ先を決めてやったぞ。帝国の第2皇子で、なかなかの良縁だ。後事は私にまかせ、そなたは新たに女としての幸せを掴むがよかろう』
第1王位継承者たる王女の代わりに公爵が即位するのは、たしかに通らぬ道理。
しかし王女が嫁ぐとあれば話は別。
ガストン公爵の即位は、既成事実としてまかり通ってしまう。
『閣下、そろそろ時間です』
副官の促しに、公爵は立ち上がった。
『毎日の襲撃続きで、さぞ疲れただろう。そなたは、ゆっくりと休んでいるがいい』
『ぬけぬけと、恥知らずに言って公爵は部屋を出ていこうとしました。
その時――』
『そうはいかない!』
けたたましい衝撃音と共に舞台に現れたのは、しなやかな豹のように窓から滑り込んできたのは蒼い甲冑を身につけた、長身の騎士。
そして、帽子をかぶった小柄な少年。
『ティーア様、すみません。ちょっと遅れてしまいました』
『ペドロ様……やっぱり、来てくださいましたね』
一方、公爵の副官は、こっそりと縛られた王女の背後に忍び寄っていた。
副官が、王女の肩に手をのばした時。
『ふごっ!?』
哀れな副官は蒼騎士の平手打ちをくらって壁に激突して気絶しました。
『そ、そんな出鱈目な……』
真っ青になったガストン公爵は転がるように退場する。
『ティーア様、急ぎましょう!
もうすぐ戴冠式が始まります!』
『はい!』
屋敷を脱出して、公爵を追いかける2人。
しかし、緋色の陰がその行く手を遮る。
『悪いけど、邪魔させてもらうよ。人形師は信用が1番だからね、うふふ』
仕事とは思えぬ楽しげな口調。
仮面の人形師、ハーレクインと紅い悪魔人形《カラミティ》だ。
交わりあう白刃と凶爪。
めまぐるしく入れ替わる赤と青。
《蒼騎士》と刃を交わしながら、リィンは拭いきれない違和感を覚えていた。
『へえ、動きが良くなったね。バラバラに壊してやったのに1日で元どおりにするなんてね。爺さんも、いい弟子をとったじゃない』
『あんた、師匠の知り合いなのか?』
『昔、ちょっとした因縁があってね』
仮面からのぞく唇が、笑みを刻む。
紅い悪魔が仁王立ちになった刹那、巨大な顎(あぎと)から真紅の火球がほとばしった。
あたり一面に立ち上る火柱。
蒼騎士とペドロ、そしてティーア姫の姿は灼熱の中に呑み込まれて消えた。
『ちぇっ、これで終わりか――少しもったいないことしたかな?』
燃え広がる火勢を眺めながらハーレクインは、残念そうに呟いた。
しかし、すぐに訝しげに目を細める。
肉の焦げる匂い、鋼の煤けた匂いがまったく漂ってこない。
『まさかッ!?』
灼熱の紅蓮を吹き飛ばすように、一陣の蒼い旋風が巻き上がる。
炎の中から立ち上がる蒼騎士。
その肩越しに、ペドロと王女が元気な姿を覗かせている。
荒ぶる炎を吹き飛ばしたもの。
それは、両手持ちの大剣。
幅広の刃を、風車のごとく回転させると蒼騎士の頭上に、火炎の蝶が舞い散る。
それは、あまりに幻想的な光景で。
リィンは悪魔の仮面の下で、目を見開いた。
――これは、誰だ?
自問に対する答えは、帰ってはこない。
わかるのは、これはライラではない、ということ。
何故だ? 一度目に、王宮の中庭のシーンで剣を合わせたときには確かにライラの動きだった。
それなのに今、炎の中から現れた騎士は彼女ではありえない。立ち姿も、気配も。大剣の扱いも。何もかも違う。
蒼騎士が紅蓮を掻き分けカラミティに迫る。
避けたはずの切っ先は、悪魔人形の背中の紅い翼の根本へと吸い込まれた。どさり、と床に落ちる紅い翼。
けれど。
――クロウ!?
顔は兜で隠されている。セリフがなければ声で判断することもできない。けれど、一度とはいえ、自分はその動きを目にしているのだ。
見間違えるはずもない。
けれど、そうだとしてもなぜ? という疑問は解消しない。彼がここにいる理由なんて、思いつかない。
茫然と見つめることしかできず。ただ脳裏に過ったのは。ライラはどうしたのかという焦り。
仮面越しに、クロウだと半ば確信している蒼騎士と視線が絡み合ったと思った瞬間。
ずくり、と。
胸の痣が疼いた気がした。
「……ア」
視界が、紅く染まる。
型も、殺陣も。脳裏から消え失せる。うちから湧き上がる破壊衝動のままに、蒼騎士へと斬りかかった。
「……っ」
息苦しさに、もがく。
「落ち着け」
引き寄せられ、兜越しに囁かれたのはやはり、クロウの声だ。
「誰も傷ついてない、安心しろ」
誰も?
本当に?
ならば、なぜラウラではなくクロウがここにこの姿でいるのか。
問いたいことも、言いたいことも、山のようにあるのに。喉は言葉を忘れたかのように獣めいた唸りしか上げることができない。
縋りつきたくても、凶爪の悪魔の手で誰に縋ればいい?
「大丈夫だ」
掴まれ、投げられる。受け身を取り損ね強かに背中を打ち付けたせいで、一瞬呼吸を忘れた。
「……グ、……ッ……」
そのまま、喉元を押さえつけられる。蒼い鎧騎士を跳ねのけようと思うよりも、視界が明滅するほうが早かった。
落ちる、と理解する前に。強引に意識が闇へと放り込まれる。
「……っ」
最初に視界に入ったのは、見慣れない天井だった。それと、視界の端に銀灰色。
遠く――いや、意外と近いのか、みんなの声が聞こえる。
「起きたな、よし」
紅蓮の悪魔《カラミティ―》の兜と着ぐるみは脱がされている。銀髪が見えてるってことはクロウも蒼騎士の衣装はもう脱いでいるんだろう。
ぼんやりと視線だけめぐらせれば、クロウが気まり悪そうな笑みを浮かべる。
「あー、うん。まず何から聞きたい?」
「全部」
「おいおい、……ま、そうだろうけどな」
クロウが僅かに視線をそらし、悩むように右手で首筋を押さえる。ようやく納得がいったのか、そのまま左手を一度振って、指を一本折った。
「まずは俺がいる理由はだな、俺も演劇の単位落としてて、サラ教官がおまえらの劇に出れば単位くれるっていうから」
「クロウ先輩……単位落としてたのに偉そうに指導してくれてたんですか」
「言うな。俺だってなぁ……」
明かされた理由に、苦笑する。
いかにもクロウらしいとも思うけれど。
そして二つ目。
「で。おまえなんかアレになってたから、焦って落とした。わりぃ、どっか痛むとかおかしいとこないか?」
「正直別の理由で胃が痛いけど、まぁ慣れてるから大丈夫だ」
ユン老師の元で修業していたころはよく落とされたし。
「あとは、……芝居はもうラストシーンだな」
ひょい、と手で示された視線の先。聞こえていた声は、舞台で演じているⅦ組の仲間の声だったらしい。
「ちなみにラウラ嬢がちゃんと蒼騎士やってるから安心しな」
舞台の上で、楽しげに話すペドロとティーア姫を、守るように佇んでいるのは確かにラウラだった。
「……ある意味、クロウ先輩があのとき蒼騎士やっててくれて助かったんだな」
もしラウラ相手に、あの獣の力で襲いかかっていたならば。どうなっていたのか。
そもそもなぜあの瞬間に覚醒したのかもわからないけれど。
「あー、まぁ俺は一回見てたしなー」
「感謝してる」
思ったまま告げれば、クロウはかすかに目を見開き、口元を歪めた。
「まぁコーヒーとピザ分だ」
「そういやこの前のお礼もまだでしたっけ。クロウ先輩、この後時間あります?」
ゆっくりと身を起こして、感覚を確かめるように手を握ったり開いたりしてみる。取り立てて違和感はない。
「あぁ……でも、俺単位取れるのかな」
舞台の途中で気絶するなんて失態を犯して、それで単位をくれるほどには士官学院は甘くはない。
「ま、駄目なら駄目で残念会でもいいんじゃないか?」
「……クロウ先輩が言うと、なんか洒落に聞こえません」
「まぁもともとあそこで紅蓮の悪魔は負けて退場だったし、最初のパートの出来もよかったしたぶん大丈夫だろ」
「だと、助かるんですが」
多分、他のⅦ組のみんなにも心配をかけた。あとで謝らないとと考える。
「まあ、教官たちには見えてただろうがⅦ組の奴らにはおまえが一瞬消えたようにしかみえなかったんじゃないか?」
「そうやって俺の考え読むのやめてください」
そんなにストレートに考えていることが顔に出る性質ではないほうだと思う。何を考えているかわからないとも言われるし。
あっさりと言い当てられた気恥ずかしさを逃がすように、半眼で睨み付けた。
「へいへい、すまんな」
「謝るのもやめてください、別にクロウ先輩のせいじゃないですし」
「あのなぁ、じゃあ俺にどうしろっていうんだよ?」
「とりあえず後でキルシェでコーヒーとピザ食べてください」
「強制!? お礼とお代じゃなかったのかよ」
「お礼ですよ」
リィンの視線の先で、舞台を終わらせたⅦ組の仲間たちが、教官とともに舞台袖へと駆けてくる。
「よかったー目が覚めたんだね」
「一瞬消えたかと思ったら最後の最後で伸びてるんですもの……まったく、もう少し気をつけなさいよね」
口々に心配の言葉をくれるクラスメイトに、目を細める。
クロウが言っていたとおり、舞台上でのリィンとクロウのやりとりは至近距離で見ていたはずのエリオットやアリサは気づかなかったらしい。
「心配かけてごめん、ありがとう。もう大丈夫だから」
苦笑しながら、手を振って無事をアピールしてみる。
「そう? ならいいけど」
「みなさんお疲れ様でした。では採点は後程お渡ししますね」
にこやかなメアリー教官の笑顔に恐ろしさを感じて、無意識に一歩下がる。その背中に固いものが当たって振り返れば、いつのまに背後を取られたのかクロウの横顔がひどく近くにあって、わけもわからず焦る。
「お疲れ様、あ、クロウはあとで一度職員室に来て頂戴」
「はぁ」
気のない返事を返して、クロウは視線をリィンに合わせた。
「悪い、今日は予定入っちまったから『また明日』、な」
「教官からの呼び出しなら仕方ないですよ。また何かしたんですか?」
「あのなぁ、おまえはいったい俺をなんだと思っていやがるんだ」
「クロウ先輩」
思ったことをそのまま返せば、クロウは苦笑する。
「……まったく、かなわん」
何がだろうと首を傾げる。
むしろ、あの獣の力を使ったうえであっさりと投げ飛ばされたリィンの方がクロウにはかなわないということを思い知らされたところだというのに。
「いや、こっちの話だ」
にやりと笑って煙に巻かれてしまう。ここで食い下がったところで、応えは得られないだろう。納得はいかないものの、我儘を口にする気もない。
「じゃあ、また明日」
約束を、口にすれば。クロウは笑みを歪めた。
pixiv [2013年12月5日]
© 2013 水瀬
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